HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


『聖書名目づくし』のロックバージョン ~『聴くドラマ聖書』今現在の箇所

『聴くドラマ聖書』は、今『詩篇』の後半部分まで来ました。聖書を部分的に読みがちでしたが、やはり一気に広く長く読むと全体的な流れを把握しやすいですね。私の場合特に、聴く方が文字に命が吹き込まれたように映像化され理解しやすい感じです。^^

ドラマ聖書を聴いているうちに、昔「そう、しゅつ、レビ、みん、しんめいき♪」と歌っていたのを思い出しました。下の楽譜は教会の特選歌です。今は300番近くなので49番は随分昔ですね。うろ覚えでしたが、通読(聴?)のお陰で覚えられそうです。^^ 

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YouTubeでは、色々な『聖書名目づくし』がありました。新共同訳バージョンなど新しいのも、、。私は下の動画が一番気に入りました。軽やかなロックバージョンで、自然に覚えられそうですね。(最後には作者のオリジナルの一文が入っていました。)


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『創世記』ではヨセフの言葉に(案の定)涙を流し^^;、彼の謙遜さに倣いたいと思いました。又、神様に触れていないユニークな『エステル記』は、話の展開がドラマのようで・・などなど、色々書きたいことがあるのですが 、新約聖書の黙示録まで一気に聴いてみるつもりです。^^

ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。

(創世記45:4-5)

毎日暑いですね。^^;日曜日教会に歩いて行くのですが、昨年辺りから保冷剤をハンカチに包み首に巻いています。これで日傘を差せばとても快適で、殆ど汗を掻きません。なかなかコロナが終息しませんが、訪問して下さる皆様のことも日々お祈りしています。^^

 

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ワーシップソング「Because He Lives」の日本語版に感動

下の動画は私が好きなワーシップソングの1つです。「主は今生きておられる」の原曲です。英語だと 3番までありますが、個人的に一番印象的なのは1番の歌詞で、特にリフレインの後半のサビの「Because He lives I can face tomorrow」が好きです。^^


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古い英語のワーシップソングの本を写メで撮りました。これ、何十年も前に購入した本なので、もう色が変わりつつあります。^^;久しぶりに引っ張り出しました。そう思うと、かなり昔から変わらず、長い間親しまれ歌われている讃美なのですね。^^

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昨日FB仲間が、「イエスがいるから」という「Because He Lives」の別の日本語訳バージョンを紹介してくれました。実は初めて聴きましたが、アカペラで歌う人達のハーモニーは本当に美しいですね。^^

良く歌われている「主は今生きておられる」の意訳も素晴らしいです。でも、注目して頂きたいのは、こちらの歌詞は、英語を全部訳そうとすると字余りソングになってしまいがちな所、そうならないギリギリのところで良い感じに訳されているところです。^^


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今朝見つけた本田路津子さんが歌う「イエスがいるから」です。昔は気が付きませんでしたが、彼女の名前はルツ記のルツから取ったのですね。 彼女の声は透明感があって美しく、優しい響きのあるヒーリングボイスですね。^^


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神は人を愛されて そのひとり子を この世におくり
私たちの罪のために 十字架につけてくださった
 
エスがいるから 明日はこわくない イエスがいるから おそれは消え
エスがいるから 人生はすばらしい 彼にすべてを ゆだねた今は 

上は一番の歌詞です。後半はサビの部分ですが、「イエスがいるから人生はすばらしい 彼にすべてをゆだねた今は」に心から「アーメン!」と思いました。

実は最近或る変化があり、難しい状況になっています。でも、イエス様は「あすのことを思いわずらうな」と仰いました。主に信頼して、全てにおいて最善をご存知の主にお任せします。主がどのようにして下さるのか、楽しみに待つことにします。

 

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それぞれの温度差~ヘアダイその後

 
 
 
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A post shared by ハイジ (@heidichan0330)

大学卒業直前にオフィスワークに復帰し、最初の会社こそ外資系でしたが、その後は法人や日系企業でずっと働いています。神様は私に世の中をもっと広く深く知るように、あえてカルチャーショックを受けるような場所に私を置かれているように感じます。

先日毎週礼拝に来ていない人と話をする機会がありました。日曜日に仕事があるから来れないのかと聞いた所、届を出せば問題なく日曜日は休めると言う。では何故?と更に聞いたら、コロナで礼拝が短くなっていて直ぐ帰るし(つまらない)、、とのこと。。

そもそも礼拝は云々言った所、皆に同じことを言われたと。イエス様の気持を考えると切なく、心が痛みました。その話を別の人に話したら、まだ大変な所を通っていないからだよと。確かに、試練を通る度に、私は神様の愛に深く触れ、信頼と絆はより強くなりました。

だからと言って、人を裁いてはいけないですね。聖書にもあるように、あとのものが先になり、先のものがあとになるものもあります。人の信仰の成長はそれぞれです。私も今は静かですが(笑)、礼拝はサボりませんでしたが、荒れていた時代がありました。^^;

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先週久しぶりにS先生とお話をする機会がありました。(一年前に牧師の世代交代?がありました。)その前の週も先週も、亡くなった実家の母親のように、事務室の献身者経由で「これ先生からです。」と、先生の心遣いで食べ物等を持たせて下さいました。

私のヘアダイに関する一連の話は献身者経由で全部ちゃんと伝わっていたようで、「あなた、良かったわね。頭。」と言われました。つまり、アナフィラキシーが起こって救急車で搬送されたり大変だったけど、原因が分かって良かったと言う意味です。^^; 

「そうなんです、先生。今まで身体の痒みの原因が謎だったのですが、アナフィラキシーが起こった為に原因がわかって感謝です。私はいきなりワクチン接種をして死んでいたかも知れません。」と。^^;今は、飲み薬と塗り薬によって症状も改善しています。

 

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ゲッセマネの園〜解決出来ない問題の祈り(再掲)

決して手抜きをするわけではないのですが^^;、導かれたので、、ゲッセマネの園の写真と祈りについて書いた2017年8月15日のブログを再掲致します。

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ゲッセマネの園の写真です。ゲッセマネヘブライ語で油絞りという意味です。

オリーブの木は樹齢年数が増えると幹がどんどん太くなるみたいです。残念ながら、中川先生によると、イエス様の時代の木はなく、古くても2百年位だそうです。イスラエルに行ってから7年も経つのに、写真の数が膨大で整理がつかず、なかなか公開出来ません。^^;


私が信仰初心者の頃は、お祈り=自分の願ったことが願った通りに叶うこと位にしか思っていませんでした。^^;もちろん結果としてそうなることもありますが、自分で背負いきれない大きな問題の場合は、自分のちっぽけな頭で解決法を考えることは難しいです。

経験的に学んだことは、自分で悩むのは止めて早々と降参の白旗を振り、問題をイエス様の奇跡の御手に乗せることでした。これが一番確実な解決法だと分かりました。何故なら、イエス様の御手は、5つのパンと2匹の魚を5000人に分けた奇跡の御手だからです。

自分の考えに固執することは、神様の御手を縛ることになりかねません。私は神様を完全に信頼しています。今は、「現状は△△です。その為、〇〇になることを願っています。でも、私の思いではなく、御心だけがなりますように。」と祈るようになりました。

それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」
それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」
またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた

(マタイ26:36-44)

 

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