HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


証をしました~礼拝の独唱:聖歌442番「つみのふかみに」を歌いました

道端に咲く小さな花が良く目に留まるのですが、これは先日教会へ行く途中の川べりに咲いていたアカツメクサです。全部撮ろうと思ったら大きな縦長の写真になってしまいました。www花言葉を初めて知りましたが、「豊かな愛」「勤勉」「実直」でした。

最近朝のお祈り会に参加しています。先々週に引き続き、先週も、日曜日にはなかなか時間がなくて話す機会がなかった姉妹方と久しぶりにじっくり話す機会があって、本当に嬉しく有意義な時間を過ごすことが出来ました。信仰の友との交わりは楽しいです。

以前は早天祈祷会で良く話していた某姉とは、8年か9年ぶりで話したかも知れません。^^;ずっと話したかったのは、彼女は何年か前迄私と同じ病気に罹っていた人だからです。でも驚いたことに、手術時に病気は消えていたと言う奇跡が起こったのです。大きな証を沢山持っている彼女と話すと本当に話がつきません。^^

昨日は証会で証をさせて頂きました。病気の治療や手術の経過、祈って頂いていることの感謝を伝えることが出来ました。多くの人達のお祈りに支えられて、化学治療の副作用も起きず手術も成功しました。大きな病名を宣告された時から今に至る迄、心の平安が完全に守られていること自体が奇跡なのだと、最近は思うようになりました。

病気の詳細は教会関係内でしか公表していないので、今は病名は伏せて置くことにします。下記は、証のほんの一部です。

今回の手術後に、お腹に管が刺さったドレインが1つ、尿管、点滴位しかなかったので驚きました。昨年の腹膜炎の手術後はドレインが3つ、尿管、鼻から胃まで入っている管、首にカテーテルの束の点滴等がついていたからです。それで、昨年から顔見知りの看護師さんに聞いてみました。今回の手術は予定されていたので安全でしたが、昨年の手術は緊急だったことや、そもそも腹膜炎の手術は「生きるか死ぬか」の大きな手術で、手術中亡くなったり意識障害が残ったりする難しい手術だったと知り本当に驚きました。昨年何の症状も起きていない時に救急車を呼んでいなかったら、私は間違いなくその晩命を落としていました。今回の手術と比較して改めて、「生かされている」という意味を考え何倍も重く受け止めました。

明治生まれの祖母は、昨年の私と同じ年齢の時に老衰で亡くなっています。父もです。そういうこともあり、その年齢を意識しないではいられませんでした。危うく私も同じ歳に亡くなる所でした。でも、何らかの使命がある為に、生かされたのだと思います。長くなりそうなので、途中ですが、この話はいずれ又、、、。

     * * * * * * * * * * * * * *

手術をしてから2ヶ月半経ちました。筋トレは激しいのでダメだけど、歌う為の筋肉を使う分には問題ないと主治医に言われて、2週間後の4月第一日曜日から聖歌隊に復帰しましたが、今日は3ヶ月ぶりに独唱の奉仕に復帰することが出来ました。

聖歌442番「つみのふかみに」は、つい2週間位前にYouTubeで耳にとまった曲です。シンプルですが、とても心惹かれる曲で、是非歌いたいと思っていました。おそらく他の人達も馴染みがないと思うので、会衆が歌う時も一緒に歌ってみました。

まだ、お腹を充分に使えないので、以前のような声量で歌うまでにはまだちょっと時間がかかりそうです。これは今私が出来る精一杯です。地元の歌の先生に動画を送ったら、「お腹もささえられていて響きも落ちてなかったですね!驚きです!」という感想には、意外だったので私の方が驚きました。(笑)

 

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村