決して手抜きをするわけではないのですが^^;、導かれたので、、ゲッセマネの園の写真と祈りについて書いた2017年8月15日のブログを再掲致します。
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ゲッセマネの園の写真です。ゲッセマネはヘブライ語で油絞りという意味です。
オリーブの木は樹齢年数が増えると幹がどんどん太くなるみたいです。残念ながら、中川先生によると、イエス様の時代の木はなく、古くても2百年位だそうです。イスラエルに行ってから7年も経つのに、写真の数が膨大で整理がつかず、なかなか公開出来ません。^^;
私が信仰初心者の頃は、お祈り=自分の願ったことが願った通りに叶うこと位にしか思っていませんでした。^^;もちろん結果としてそうなることもありますが、自分で背負いきれない大きな問題の場合は、自分のちっぽけな頭で解決法を考えることは難しいです。
経験的に学んだことは、自分で悩むのは止めて早々と降参の白旗を振り、問題をイエス様の奇跡の御手に乗せることでした。これが一番確実な解決法だと分かりました。何故なら、イエス様の御手は、5つのパンと2匹の魚を5000人に分けた奇跡の御手だからです。
自分の考えに固執することは、神様の御手を縛ることになりかねません。私は神様を完全に信頼しています。今は、「現状は△△です。その為、〇〇になることを願っています。でも、私の思いではなく、御心だけがなりますように。」と祈るようになりました。
それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。(マタイ26:36-44)
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