マタイによる福音書22章37~39節を読んでみることにします。下のギリシャ語は聖書アプリのTHGNT(The Greek New Testament)です。その下の英訳はBible HubのInterlinearの訳です。右側はNKJV(New King James Version)です。
今回ギリシャ語のフォントを思いきり大きくしてみました。品詞毎の色分けは煩いので止めて^^;、名詞=オレンジ色、動詞=黄緑色にしました。今回は気になる動詞と名詞だけ取り上げることにしました。難しいのでChat GPTの助けを借りました。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
κύριονキュリオン(対格)←主:κύριοςキュリオス(主格)
θεόνセオーン(対格)←神:θεόςセオース(主格)
καρδίᾳカルディーア(与格)←心:καρδίαカルディーア(主格)
ψυχῇプシュケー(与格)←精神:ψυχήプシュケー(主格)
διανοίᾳディアノイーア(与格)←思い:διάνοιαディアーノイア(主格)
ぼんやりと記憶していた日本語の「心」「精神」「思い」と英語の「heart」「soul」「mind」の微妙な違いをChat GPTに聞いてみました。↓↓↓
「心」「精神」「思い」の微妙な違いを理解するためには、まずそれぞれの言葉が持つニュアンスを見てみましょう。この箇所は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とイエスが教える部分であり、英語では「Love the Lord your God with all your heart, with all your soul, and with all your mind」と訳されています。
日本語でのニュアンス
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心
- 日本語では「心」は感情や意志を司る中心部分を指します。思いやりや愛情、意志の決断を含む感覚的な部分が強調されます。
- 原文(ギリシャ語)の**καρδία(kardia)**は、人間の内的な存在の核心を指し、感情や意志、道徳的判断の座としての役割があります。
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精神
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思い
- 「思い」は知性や理性を司る部分を表します。考える力や理解、論理的思考など、知的活動に関する側面が強調されます。
- ギリシャ語の**διάνοια(dianoia)**に対応し、英語の「mind」に訳されます。これは、知的推論や計画をする能力に焦点を当てています。
英語のheart, soul, mindの違い
- Heart(心)
感情や愛の源泉。意志や感情を含む、内面の中心。 - Soul(精神・魂)
霊的存在としての側面。人格全体や生命力。 - Mind(思い)
知性や理性。考える力や知的理解。
微妙な違いと全体的なメッセージ
イエスがこれらの3つの言葉を使った背景には、人間の全存在(感情、霊性、知性)を尽くして神を愛するようにという教えが含まれています。それぞれを個別に考えるよりも、全てを一体として捧げるということがポイントです。
例えとして:
- 心:「神を愛する感情」 → 愛情を持って神を敬うこと。
- 精神:「神との霊的なつながり」 → 祈りや信仰による霊的献身。
- 思い:「神を知り、学ぶこと」 → 聖書を学び、神の言葉を深く理解すること。
これらの言葉が示すニュアンスの違いを感じつつも、それを包括的に「全身全霊で神を愛する」ことがこの教えの本質だと考えると良いでしょう。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
気になったのが、ἀγαπήσειςアガペーセイス(You shall love)です。一人称単数現在はἀγαπάωアガパーオーです。名詞はαγάπη(アガーペー)です。googleでは(アガピ)と発音されていました。前者は古典ギリシャ語の発音、後者は現代ギリシャ語の発音です。「η」の読み方が違います。因みにΑΒΓの読み方も、アルファ ベータ ガンマですが、現代ギリシャ語ではアルファ ヴィータ ガンマです。
アガペーの愛は神様の無償の愛であって、人間が神様のようにἀγαπάωアガパーオーすることは不可能なことのように思えますが、神様は私達にアガペーの愛で隣人を愛せよと命令されているのでしょうか?とChat GPTに聞いてみました。↓↓↓
アガペーの愛についてのご質問は、深い神学的なテーマに触れるものであり、キリスト教信仰の核心とも言えるものです。以下で、できるだけわかりやすくお答えします。
1. アガペーの愛とは?
アガペー(ἀγάπη)は、新約聖書で使われるギリシャ語の「愛」の一つで、神様の完全で無条件、犠牲的な愛を指します。この愛は、人間の感情や利己的な思いに縛られず、相手の益を最優先する愛です。神ご自身がその本質であり、「神は愛です」(ヨハネ第一の手紙 4:8)と聖書に書かれているように、アガペーの愛は神の本質を表しています。
2. 人間にとってアガペーの愛は不可能?
おっしゃる通り、アガペーの愛は人間の力だけでは完全に実践することは不可能です。私たちは罪の影響を受けた存在であり、自分自身の力では神のような無条件の愛を持つことができません。
しかし、神様は人間にこの愛を命じているのです。例えば:
- 隣人を自分のように愛しなさい(マタイ 22:39)
- 互いに愛し合いなさい(ヨハネ 13:34)
これらの命令は、人間が自分の力で努力して達成できるものではなく、神様の助けが必要であるという前提に立っています。
3. どうしてアガペーの愛を命じるのか?
神様が私たちにアガペーの愛を求めるのは、神の愛が私たちを通して現れるためです。これを可能にするのは、聖霊の働きです。聖書はこう述べています:
- 神の愛が私たちの心に注がれています。それは、私たちに与えられた聖霊によるのです(ローマ 5:5)
- わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。…わたしを離れては、あなたがたは何もすることができません(ヨハネ 15:5)
つまり、聖霊の助けによって、私たちは神の愛を体験し、それを他者に分け与えることができます。アガペーの愛は、人間の愛の限界を超えたものですが、聖霊によって実現可能になります。
4. 具体的にはどうすればよい?
アガペーの愛を実践するには、以下のような歩みが必要です:
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神の愛を知る
神様が私たちをどれほど深く愛してくださっているかを知ることが出発点です。イエス・キリストの十字架の愛は、神の愛の最も偉大な証拠です。 -
聖霊に委ねる
聖霊に導かれ、祈りを通して神様の助けを求めます。「主よ、私にはできませんが、あなたが働いてください」という謙虚な心で歩むことが大切です。 -
小さな行動から始める
隣人への親切な行為や、許し、感謝など、小さな愛の実践を通して神様の愛を示します。アガペーの愛は感情ではなく、意志と行動で示される愛です。
5. まとめ
神様が私たちにアガペーの愛を求めるのは、それが私たちの力ではなく神の力によって可能になる愛だからです。私たちが完全にそれを実践することはできなくても、神様がその愛を注ぎ、成長させてくださるという信仰が鍵となります。
「私にはできませんが、神様が私を通して働いてくださる」という信頼を持ち、日々聖霊に助けを求めながら歩んでいきましょう。
聖書の解説は一信徒の私では限界があるのですが、AIは一瞬にして回答してくれるので驚くばかりです。^^;へりくだって神様を求め、聖霊の助けと導きによって日々過ごすことが大事ですね。
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