教会そばの川沿いに植えられていたすみれです。
今回は第二コリント12:9を読んでみました。普段PCで見ていたのですが、スマホで見るとギリシャ語のフォントが小さすぎるのに気が付きました。もっと大きくしたかったのですが、そうすると左右に上手く揃えることが難しいので、こうなりました。^^;
今回もBlue Letter Bibleに合わせて品詞毎に色分けしてみました。
ブルー=接続詞、黄緑=動詞、紺色=代名詞、ピンク=定冠詞、オレンジ=名詞、緑=前置詞、赤=形容詞、紫=副詞、にしています。
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
上から3行目「ἀσθενείᾳアスセネイア」と7行目「ταῖς ἀσθενείαις μουタイス アスセネイアイス ムー」ですが、口語訳では、其々「弱い(ところ)」と「自分の弱さ」と訳されています。ギリシャ語の下はBible Hubで、どちらも「weakness」と訳されています。
原形?は「ἀσθένειαアスセネイア」です。NKJVでは「weakness」と「infirmities」と違う訳になっているのは何故なのか、わからないのでChat GPTに聞いてみました。(Chat GPTは100%信頼出来ないので、参考までに、、。^^;)↓↓
英語聖書でのこのような訳語の選択は、元のギリシャ語の意味や文脈をできるだけ正確に表そうとするためです。
"Weakness" は、広い意味での「弱さ」を指し、精神的な弱さや不足、限界などを含む概念です。この言葉は人間の限界や、罪や失敗への傾向を含む、一般的な「弱さ」にも当てはまります。
"Infirmities" は、特に「病気」「苦難」「肉体的な不調」など、身体的・精神的な「苦しみ」や「制約」に焦点を当てています。ここでいう「infirmities」は、弱さの一部としての「苦しみ」や「耐えがたい負荷」のニュアンスが強く、パウロが体験したような具体的な苦痛や病気にも結びつきやすい言葉です。
病気の話ばかりで恐縮ですが、今はすっかり元気になり、仕事をしていないこと以外は正常な日常生活に戻っています。病気だった1年数ヶ月は、何をするにもお祈りが必要でした。肉体的に弱くなり、神様の助けがないと些細なことも難しくなりました。
病気をして自分の弱さを目の当たりにしましたが、それはショックなことではなく、元気な時よりも身近に神様の御臨在を感じ、何でも祈れば大丈夫という安心感がありました。お任せして祈った後の結果は、神様への祈りの答なので間違いはありませんでした。
長い信仰生活で、病気以外でも大きな試練に何度も遭いましたが、その時は分からなくても、後になってみれば良く分かるのです。白旗を振ってお手上げで、全てを委ねるしか方法がなかったからこそ、体験を通し神様の大きな愛を知り、完全に信頼出来る方だと分かったからです。
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先日或る人とLINEのやり取りをして、何故か「新約聖書と旧約聖書両方に出て来る名前はな~んだ?」とクイズを出して来ました。^^;私は、「旧約のヨシュアとイエスはへブル語ではどちらもイエシュアじゃないの?」と答えました。
Chat GPTによると下記のようです。そのままコピーペイストします。↓
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