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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


預言の吟味

預言カフェとカンファレンスで、合計3名に個人的な預言を語られたことの概略を、7月14、15日の日記に書きました。私の個人的なことを言い当てられたことには驚きを隠せませんでしたし、抱えている問題に対してのアドバイスを頂いたこと、そして何よりも嬉しかったことは、神様がいつも共にいて下さるということを改めて確信出来たことでした。

預言のミニストリーと言うのは、恐らくペンテコステの系列の教会が行っているのだと思われますが、単立のペンテコステの教会で生まれ育った私でさえも、預言は未知の分野であると言うことに変わりはありません。ひと月前に新宿で古いネットフレンドのクリスチャン達とオフ会をしました。その日に久しぶりにオアシスブックセンターに立ち寄り何冊か本を買いました。その一冊が、ジョン・ビビア師が書かれた『主は本当にそう語られたのか?』という本です。

買ったもののひと月も読みもせず、別の信仰書をずっと読んでいました。でも、土曜日から今日までかけて一気に読むきっかけとなったのは、実は先週の金曜日にもう一度預言カフェを訪れたことでした。前回の時から時間が経っているし、もっと具体的なアドバイスを受けられたらという思いがあり、間に合わないので、前回の時のように17:30に退社しダッシュでカフェに向かいました。

牧師先生ではなく、別の年配の女性と笑顔の可愛い若い女性がいて、預言をしてもらいました。前回とは全く違うアプローチの預言で興味深く聞いてはいましたが、二人目の女性の預言には驚きました。あまりにも大きくて突拍子もないビジョンを語られたからです。(まぁ、多かれ少なかれ、神様からのビジョンと言うものは突拍子もないものですが・・)私のウェブ日記に書くのもためらわれます。それは、私自身の能力、キャパシティを遥かに越えたものであり、少なくとも今私の心に願いもしていないことだからです。

帰り道私がわかったことは、預言は占いとは違うので、私が抱えている問題に対して神様は何とお答えになるかということではなく、神様が私に語りたいと思われることを預言者を通して語られるということでした。具体的なアドバイスをもらうのではなく、突拍子もないことを語られたのですが、少々ビックリはしましたが冷静な気持ちでした。ありえないと思ったからです。(譬えで言うと、理数系の弱い私がこれから受験勉強をして医大に入って、将来外科医になるのと同じ位ありえないのです。)

そういうこともあり、私が一ヶ月前に買ったジョン・ビビア師の本を読む必要性を強く感じたのです。主がそのことを導いて下さったことを感謝します。私は預言については殆ど知識はありませんでした。この本を通して、今アメリカでどれだけ問題が起こっているのか良くわかりました。個人的預言は全てが神様から語られた正しい預言とは限らず、偽預言もあるという事実を知りました。世界的に有名な預言者が行っているミニストリーでさえ、その動機に個人の肉の思いが混じってしまうと汚されてしまうこともあり危険だということです。

語られた預言を100%疑いなく受け入れてしまい、そもそも預言の目的は人の心が神様に立ち返り神様に目を向けることなのに、神様ではなく語られた預言そのものに目を向け、それを達成することに夢中になり、実際人生を滅茶苦茶にされた人達が大勢いることを知ったことは驚きでした。恐らく日本ではアメリカ程預言のミニストリーが活発ではないので、被害もそんなにないのかも知れません。

全ての預言が間違いということではないのですが、預言は全て聖書に照らして検証すべきだと感じています。反聖書的なことは明らかに神様からの預言ではないからです。クリスチャンの私達には聖霊が与えられていますから、祈りの中で聖霊に導いて頂く事が大事です。でも、神様を知らないノンクリスチャンは預言を吟味することが出来ないわけですから、もし突拍子もないことが語られて全てを鵜呑みにしてしまったら恐いなと思います。私に語られた数々の預言については、ことごとく神様に祈って聞いて導いて頂くつもりです。

結論としては、私が7月15日の日記にも書いたように、やはり『もちろん預言は吟味する必要がありますし、祈りの中で更に深く神様の御心を知りたいと強く思っています。』に尽きるかなと思います。単純な私ではありますが、素敵なことを語られたからと言って、鵜呑みにして有頂天にならなかったことを感謝します。預言を見極める為に、この本は非常に役に立つと思います。事実を正確に語られたからと言って、必ずしもそれは神様からのものだとは限らないということ。大事なのは正確さではなく、心の平安が判断の基準となるべきということなのです。

最後にこの本の各章の始めに書かれていた著者の言葉をいくつか引用致します。

預言者は、神に託された賜物を用いて人々を自分に引き寄せる。真の預言者は、人々を神のお心に引き寄せる。

真理を愛するなら、真偽を見極める力は研ぎ澄まされ間違いを犯さないようになる。

もし心の中にあることばが聞こえてきたり、あるいはだれかがことばを語った時、心に平安がなければ、そのことばをを拒絶すべきだ。何かを決断する時、平安があるかないかが決め手となるべきだ。