HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


メリークリスマス!~受胎告知教会の写真

メリークリスマス!😄

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

(ルカ2:11)

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネ3:16)

 今日はイヴなので会社を休んで、夜のキャロリングなどに備えてゆっくり過ごしています。9年前に行ったイスラエル旅行の写真の中から、ナザレにある受胎告知教会の写真を再掲します。😄

f:id:veilchen23:20191224093327j:plain

f:id:veilchen23:20101121142645j:plain

f:id:veilchen23:20101121143924j:plain

f:id:veilchen23:20191224093043j:plain

f:id:veilchen23:20191224093107j:plain

教会の下の方に位置しているgrottoです。ほら穴?辞書を引いたら、(祈祷用に作った)岩屋となっていました。マリアが受胎告知を受けた場所と言われています。

f:id:veilchen23:20191224093138j:plain

f:id:veilchen23:20101121144503j:plain

f:id:veilchen23:20191224093230j:plain

f:id:veilchen23:20191224093257j:plain

二階には世界各国から贈られた母子像などの絵画が飾られていますが、これは、長谷川ルカ(路可)画伯の「華の聖母子」というモザイク画です。

f:id:veilchen23:20101121144727j:plain

教会の外(裏側)に出た所で写真を撮りました。

f:id:veilchen23:20191224093008j:plain

f:id:veilchen23:20101121151338j:plain

 

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

友と呼んで下さる主~SieではなくDuで呼び合う関係

私のウェブサイトに「方言による主の祈り」というコーナーがあります。しばらくアップデートしていないのですが、茨城弁の所は私がK子に確認して書いたものです。私は上京後に完全に東京弁?に変えたので、今は茨城弁は話せません。^^;

www2.gol.com

茨城弁で「あなた」と言う丁寧な言葉はなく、「おめ」しか思い浮かびません。多分、「おまえ」が変形した言葉だと思います。関西系の人に「あんた」と言われると、関東人の私などは乱暴で失礼だなと感じますが、神様を「おめ」という茨城弁って。。。^^;

そこでドイツ語の「Du」を思い出しました。ドイツ語で「Sie」は2人称の敬称ですが、「Du」は子供や、家族や友達など親しい人に対して使います。私が以前習った学校と音大では「Sie」を使うようになっていました。

会話学校当時の親しかった先生達とは学校外では「Du」で呼び合っていました。動詞の切換えが難しかったのを覚えています。^^;又、「duzen」は「duで呼ぶ」と言う動詞で、「Wollen wir uns duzen?(duで呼び合いませんか)」などと言います。

私達は日本語でお祈りをする時、丁寧な2人称では「あなた(様)」などとあらたまってしまうかも知れませんが、ドイツ語では、神様に対しては「Sie」ではなく親しい関係の「Du」です。これを知った時はとても驚き感動したものです。

日本語での関係よりももっと神様との関係が近いような気がしました。神様と私達は「Du」で呼び合う親しい関係なのです。フォーマルでかしこまった堅苦しい関係ではありません。私がドイツ語でお祈りすることが出来れば、duzenの関係になれます。

主が罪人の私達を親しく「友」と呼んで下さるなんて畏れ多いことですね。^^;しかも神様は、私達の日常の些細なことにも関心を持っておられ、人生の全てに御介入することを望んでおられます。信頼して主に人生の舵取りをお任せ出来ることは幸いだと感じています。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

(ヨハネ15:12-16)

 

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

礼拝の独唱:讃美歌115番「ああベツレヘムよ」

www.youtube.com

昨日の礼拝で、讃美歌115番「ああベツレヘムよ」を歌わせて頂きました。大好きな曲なので毎年12月の独唱はこの曲を歌っています。この動画の少年達の声は本当に美しく天使のようですね。😄

記録を見ると2006年には半音上げて歌い、その後は1音上げて歌っているようです。やはりオペラを歌うようになってからは、私の音域はだんだん高音部の方が出しやすくなっているみたいです。

伴奏のCちゃんから、讃美歌115番「ああベツレヘムよ」は聖歌124番「しずかにねむれる」と歌詞違いで同じだと教えてもらいました。しかも、讃美歌より1音上がってG Durになっていました。来年は聖歌にしてみようかな。😄

次の日曜日はいよいよクリスマス礼拝の本番になるので、オーケストラや子供聖歌隊と一緒に練習をしました。指揮のM先生には相当絞られましたが、難しいモーツァルトの曲は何とかなりそうです。😄


夜中に書きかけました。読み始めた本に興味深いことがたくさん書かれていて、記憶が新しいうちに気付いたことを後で書きたいと思います。。


↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

祈り導かれるままに~私の恥ずかしい失敗・その後

今の仕事を始めて4ヶ月になりました。没個性のダサい制服を着、洗練された外資系とは真逆の、暗く殺風景なガランとした倉庫のような、若い人よりも中高年が多い活気のない職場です。仕事は経験不問の誰でも出来る仕事で、職場環境としては超ドメスティックな、私のOL史上最低最悪かも知れません。

それでもここで続いているのは、何度も泣き涙を流しながら「私を必要としている職場に送って下さい。主の御心だけがなりますように。」と祈った答えとして、5月にやむを得ず4日間で辞めた仕事はあるものの、実質3ヶ月半のブランク後にやっと与えられた仕事・職場だったからです。

お任せして祈っていたことだったので、もちろん不平不満はなく祈りの答えには納得し感謝して働き始めました。ただ、今のカルチャーショックレベルの職場に何故導かれたのかは気になり、当初からずっと祈り神様に問いかけていました。

即座に答えが来たわけではなく、歩きながら祈っている時に時々心に響いて来た「神様の小さな短い言葉」によって徐々に知るようになりました。神様は私が(これまで知らなかった)色々な人達の存在を知り理解し寄り添えるようになることを望んでおられるということ。。

それは、密かに描いているビジョンに関係があるのかなと思っています。ただ、やりたいことが御心なのかどうかはまだ祈っている最中なのです。間違いなくハッキリしていることは、神様が何かの御計画の為に私を敢えてここに送り、色々なことを通して訓練をされているということです。 

それに併せて、タイムリーに導かれた信仰書が大きな励ましとなり、また気付きに繋がりました。6月の断捨離の時に出て来た『恐れからの解放』、そして『自分自身のために祈る女性のための30の祈り』、『神が造られた「最高の私」になる』から得るものは大きかったと思います。

  * * * * * * * * * * * * * * * *

ところで、私の恥ずかしい失敗 - heidi’s Diaryの続きです。挨拶をしても無視されたTさんとは席も離れ、職場が広く接触することもなくなりました。でも、サタンが働く足場を作らない為にも、「Tさんを祝福して下さい」という祈りはずっとしていました。

昨日の朝、導かれて「全ての人と平和に過ごせますように」と祈っていました。休憩の時に、親しいIさん(男性)を見かけて、お菓子をおすそ分けする為にテーブルに行くと、殆ど同時にTさんもそのテーブルにやって来ました。

Iさんに(私が大好きな)かりんとうをすすめると、甘いもの大好きな彼が唯一苦手なのがかりんとうだとすまなそうに言われました。そして、ごく自然に「Tさん食べる?」とにこやかに聞いたら、彼女もにこやかに「食べる」と。

そして、それに続いて今ハマっている脳トレ数独の進み具合の話になり、「へぇ、そんなに進んでるの?!凄いね~」と、以前と変わらない感じで話が出来ました。彼女と話したのは何週間ぶりだったでしょうか。^^;

一ヶ月以上前までは「heidiさんの隣に来れて本当に良かった」と言っていたのに、些細なことでへそを曲げられてしまいました。^^;でも、自分の考えではなく聖霊様に導かれた行動によって、このような自然な形で和解出来ました。

朝祈ったように、神様は『すべての人と平和に過ごしなさい』と望んでおられるのだなと良くわかりました。彼女と話せたことは昨日一番嬉しい出来事でした。今後はもっとうまく付き合って行けると思います。神様、ハレルヤ感謝です。^^ 

12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
12:16 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
12:17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
12:18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
12:20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである

(ローマ人への手紙12:14-20)

また長くなってしまいました。ここまで読んで下さってありがとうございます。^^;

 

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村