HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


友と呼んで下さる主~SieではなくDuで呼び合う関係

私のウェブサイトに「方言による主の祈り」というコーナーがあります。しばらくアップデートしていないのですが、茨城弁の所は私がK子に確認して書いたものです。私は上京後に完全に東京弁?に変えたので、今は茨城弁は話せません。^^;

www2.gol.com

茨城弁で「あなた」と言う丁寧な言葉はなく、「おめ」しか思い浮かびません。多分、「おまえ」が変形した言葉だと思います。関西系の人に「あんた」と言われると、関東人の私などは乱暴で失礼だなと感じますが、神様を「おめ」という茨城弁って。。。^^;

そこでドイツ語の「Du」を思い出しました。ドイツ語で「Sie」は2人称の敬称ですが、「Du」は子供や、家族や友達など親しい人に対して使います。私が以前習った学校と音大では「Sie」を使うようになっていました。

会話学校当時の親しかった先生達とは学校外では「Du」で呼び合っていました。動詞の切換えが難しかったのを覚えています。^^;又、「duzen」は「duで呼ぶ」と言う動詞で、「Wollen wir uns duzen?(duで呼び合いませんか)」などと言います。

私達は日本語でお祈りをする時、丁寧な2人称では「あなた(様)」などとあらたまってしまうかも知れませんが、ドイツ語では、神様に対しては「Sie」ではなく親しい関係の「Du」です。これを知った時はとても驚き感動したものです。

日本語での関係よりももっと神様との関係が近いような気がしました。神様と私達は「Du」で呼び合う親しい関係なのです。フォーマルでかしこまった堅苦しい関係ではありません。私がドイツ語でお祈りすることが出来れば、duzenの関係になれます。

主が罪人の私達を親しく「友」と呼んで下さるなんて畏れ多いことですね。^^;しかも神様は、私達の日常の些細なことにも関心を持っておられ、人生の全てに御介入することを望んでおられます。信頼して主に人生の舵取りをお任せ出来ることは幸いだと感じています。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

(ヨハネ15:12-16)

 

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