HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


聖歌502番「わが主はまことの牧者」の謎だった歌詞の意味・・^^;


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私が持っている「聖歌」は2代目で、もう20年以上使っています。もう廃版になってしまった為、教会では「聖歌 総合版」に移行しつつあります。当然番号も変わってしまい、調が変わってしまった曲もあります。いずれ近いうちに買い替えないと、、。^^;

www.gospelshop.jp

聖歌の曲によっては、文語体の歌詞もあります。大体は聖歌の楽譜の下に小さく注釈が書かれているので意味はわかるのですが、中には意味が不確かなまま歌っている曲があることに気が付きました。^^;それが聖歌502番「わが主はまことの牧者」でした。

1代目の聖歌は「わが主」ではなく「エホバ」でした。他も2代目では一斉に「わが主」に、又、差別用語にあたるような言葉も別の言葉に置き換えられていました。この聖歌502番は詩編23篇を歌った歌で、とても愛着があり好きな讃美の1つです。

そう言っておきながら、その讃美の3番の歌詞のうち下記下線部分が不明瞭なままでした。

たとい死のかげのたにをゆくとも わざわいなやみをなどおそるべき

わが主はわがみとともにいまして しもととつえもてなぐさめたもう

主のてにひかれていずくへなりとも みむねのまにまにひびしたがいゆかなん

それで、改めて詩篇23篇の口語訳と先日購入したKindle版文語体聖書を見てみました。3番の歌詞は詩編23篇4節にあたります。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、 わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。 あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。( 口語訳)

た と ひわれ 死の かげ の 谷 を あゆむ とも 禍害 を おそれ じ なん ぢ 我 とともに 在せ ば なり なん ぢ の 笞 な ん ぢ の 杖 われ を 慰む(文語訳)

「しもととつえ」が謎だったのは、私が一つの単語だと思い込んでいたからでした。^^;笞(しもと)と杖(つえ)」で、英語だと鞭(rod)と杖(staff)ということだったのですね。でも、何で鞭や杖が自分を慰めるのか、痛いんじゃないかと思いました。^^;

Chat GPTを100%信頼しているわけではないものの、安易とは思ったのですが、参考の為に聞いてみました。一部分をコピーペイストしました。

笞と杖は、この文脈では痛みや罰を意味するわけではなく、むしろ神の導きと保護に焦点を当てています。

「神の導きと戒め」: むちとつえは、聖書の他の箇所でも神の導きと戒めを象徴する言葉として使われています。神が愛と真実に基づいて導くことで、人は正しい道に導かれ、慰めを得ることができます。

「神の保護」: むちとつえは、牧羊者が羊を導くために使う道具でもあります。この詩篇では、神を牧者として位置づけ、神のむちとつえによって導かれることで、安心感や保護を得られると表現されています。

この表現は、信仰と希望に満ちた言葉であり、神が人々を導き、慰め、保護してくださる存在であるとの信仰を示唆しています。痛みや苦難があっても、神との関係を通じて慰めを得ることができるとの信仰が表れています。

・・・と言うことことでした。なるほど、勉強になります。^^;

 

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