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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


早まった卒業?~第一ペテロ2:6のギリシャ語の原書を調べてみた(独習)

上は、一昨日のFacebook投稿のスクリーンショットです。Facebook用の私のアバターですが、いつの間にか欧米嗜好の?バージョンに変わったようです。精一杯修正しても、全然似ておらずガッカリです。今後アバターの出番は減って来ると思います。^^;

金曜日の朝、あと3日の出勤+有給休暇の予定で出勤しましたが、給与明細に記載の有休日数が確定だと知りました。有休は権利だからと勧められたこともあり、急遽有休を追加したのです。そういう人達が他にもいて、すれ違いで辞めた人が何人かいました。

1月にひょんなことでコールセンターで働くことになり、出来れば避けたい電話業務だったので、最初は緊張と恐怖で?どうなることかと思いました。神経を使う仕事で大変でしたが得るものも多く、異動後はゆったりとして楽しい職場だったと思います。^^

全てを主にお任せしていましたので、8月で契約終了と言われた時は、『神様の「時」が来た。ここでの使命が終わり、卒業するんだな。』と静かに思いました。9月以降のことはまだ未定ですが、来週は又別の派遣会社に登録をしに行くことになっています。

聖書にこう書いてある、 「見よ、わたしはシオンに、 選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。 それにより頼む者は、 決して、失望に終ることがない」。

ペテロの第一2:6

私が20年以上前に長期間失業していた時、自分が「仕事の内容や条件にばかり目が行っていたから、NGになって落ち込んでいたのだ」と教えられました。「希望はイエス様に置きなさい」と上から鮮やかに語られた時に、ハッと目が覚めた思いがしました。

その後2ヶ月もしないうちに、長期勤務した最後の会社に入社出来たのです。イエス様ご自身に希望を置くならば、決して失望落胆をすることはないと確信出来た出来事でした。その導かれた言葉はペテロ第一2:6から来ていることは後から知ったのです。

久しぶりにギリシャ語を調べてみることにしました。その箇所の詳細は下記リンク先をご参照下さい。その下は全体のスクリーンショットです。口語訳の「それにより頼む者は、 決して、失望に終ることがない」は、下から2行目最後~一番下の行になります。

https://www.blueletterbible.org/tools/interlinear/mgnt/1pe/2/6/

 

「ὁ πιστεύων ἐπ αὐτῷ οὐ μὴ καταισχυνθῇ」の部分で、NASB95訳だと「He who believes in Him will not be disappointed」、NIVでは「the one who trusts in him will never be put to shame」、割とギリシャ語に近い訳が多いかなと個人的に感じているNKJVでは「he who believes on Him will by no means be put to shame」でした。

う~ん。口語訳「決して、失望に終ることがない」に馴染んでいるせいか、NIVとNKJVの「(私訳)恥をかかされることはない」は何かピンと来ず、NASB95の「(私訳)失望させられることはない」がしっくり来るような気がしました。

原書の「καταισχυνθῇ」の原形は「καταισχύνω(カタイスフノ)」です。Oxfordの辞書では、「disgrace, dishonour; shame, put to shame; deceive」となっていました。「失望」より「恥」の意味合いなのですね。。

原書と翻訳の間で混乱しそうになりましたが、「イエス様に希望を置く時、失望することは決してない」という事実は、経験を通して学んだことです。永遠に変わらない真実なのです。私は、これからもずっと、イエス様に希望を置き信頼して歩みます。^^

 

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