HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


HP開設23周年~この動画を観ると、辛かった時の自分を思い出す・・・(再掲)

在宅勤務が予想以上に延びています。自己管理能力が試されているような日々を送っています。^^;
 
今年の3月30日でウェブサイト開設から23年になっていました。コロナの蔓延で大変な時なので、自分の誕生日でもあるその日はお祝いどころではありませんでした。^^; 証を書くように神様から導かれて開設した初心を忘れることなく、これからも主に従って真っ直ぐ歩んで行こうと思っています。
 
過去日記になりますが、証を取り上げていましたので、再度アップすることにしました。
 
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この動画を観ると、辛かった時の自分を思い出す・・・

クリスチャンであってもなくても、人は皆同じように人生は山あり谷ありだと思います。でも、クリスチャンとノンクリスチャンが決定的に違うことは、自分の人生を全能の主と一緒に歩いて行くか自力で歩いて行くかだと思っています。

私は、今でこそ神様に全幅の信頼を寄せて落ち着いていますが、信仰に入って10年以内は本当に神様や人や自分自身との闘いというか悪あがきというかがありました。神様に逆らって自分の我を通そうとしたのですから当然です。

逆らいつつも、今思えば、神様に不満があったとしても礼拝や祈祷会を休むことなく教会に行っていたことはお恵みだったと思います。我が強すぎると内なる御霊様は静かになります。それは神様は私達に自由意思を与えておられる為です。

まさにこの動画のようでした。自分の我を通して行きたい道を好きなように歩いて行きました。でも、そこには平安や喜びはなかったのです。当然ながら、この前まで傍にいらっしゃった主が、どこかに行ってしまったような気持ちになっていました。

でも、主は私達を捨てて孤児とはされません。『まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。』放蕩息子の父のように、忍耐強く待っていて下さいました。動画では、イエス様がテントを張って待っていて下さいましたね。^^

下記URLは証しのIndexです。「苦しい環境」という証の全文は証しのページに載せています。

http://www2.gol.com/users/heidi/testimony/index.html

苦しい環境
(転職し仕事そのものには恵まれましたが、人間関係で初めて悩むこととなりました。 苦しみ、神様が遠く感じられましたが、神様は決して私を見放したわけではありませんでした。)

(前半省略)

悩みが色々ありすぎて詳細を書くことが出来ませんが、私の心の隙間にサタンが忍び込み、 私の悩みを利用して滅ぼしイェス様から引き離そうとしました。あるクリスマスイブの日、 友達とその知り合いの中国人が通っている教会に出かけて行きました。 クリスチャンにとっては一番嬉しい日なのに、周りの人達が喜びで輝いている時に、 私だけは暗く沈んでいました。暗く寂しい気持ちになり、死んでしまいたくなりました。 イェス様は私を見捨てられたのかと思いました。何故そうなったのかは自分が良くわかっていました。 イェス様は、安全な右の道を行くようにおっしゃったような気がします。でも、私は自分の我で、 左を歩いていたのです。滅びに至る道だということも知らずに。

私は生きていることが辛くなり、 イェス様に「最後のお祈り」をしたのです。「イェス様。 今まで私を愛して下さってありがとうございました。我が儘言ってごめんなさい。 死んでしまったら地獄に行くのはわかっています。でも、辛くて耐えられそうにないんです。」と、 涙を流して祈りました。真剣に祈ったのは久しぶりだったかも知れません。私はとても惨めで、 価値のない人間だと思いました。すると、パッと上からの思いが、御言葉となって私の心に入って来ました。 「霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 (ローマ人への手紙第12章12節)」と。

私は、イエス様が、崖っぷちで片足を踏み出している私を、一瞬のうちに支えて助けて下さったのだとわかりました。イェス様は私を見放していたわけではなかったことを知り、涙が止まりませんでした。私の心はその瞬間に変えられました。絶望と悲しみの心が、喜びと感謝に変わりました。
年が明けて元旦礼拝の時に、いただいた御言葉のお年玉(封をされた封筒に入っている)は、先の御言葉と全く同じだったので驚きました。私は、イェス様が自分に求めておられるのは何かを知ることが出来、もう二度とイェス様を悲しませるのはよそうと思いました。

 

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