HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


崖っぷちで救われたこの御言葉・・・T_T

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毎年新年礼拝には、封筒に入った「御言葉のお年玉」のカードを頂きます。自分で選んで開封して初めてカードを見るわけですが、不思議とその年を表す御言葉というか、その年の指針となるような特別な御言葉が与えられるのです。

受洗6、7年の頃、先代の牧師先生が亡くなり、教会が相当サタンの攻撃を受けました。その上に私自身の大きな悩みが加わって、押しつぶされそうな毎日でした。詳細はHPの証「苦しい環境」に書いてありますが、一部を下記に抜粋します。

悩みが色々ありすぎて詳細を書くことが出来ませんが、私の心の隙間にサタンが忍び込み、 私の悩みを利用して滅ぼしイェス様から引き離そうとしました。

 

あるクリスマスイブの日、 友達とその知り合いの中国人が通っている教会に出かけて行きました。 クリスチャンにとっては一番嬉しい日なのに、周りの人達が喜びで輝いている時に、 私だけは暗く沈んでいました。暗く寂しい気持ちになり、死んでしまいたくなりました。 イェス様は私を見捨てられたのかと思いました。何故そうなったのかは自分が良くわかっていました。 イェス様は、安全な右の道を行くようにおっしゃったような気がします。でも、私は自分の我で、 左を歩いていたのです。滅びに至る道だということも知らずに。

 

私は生きていることが辛くなり、 イェス様に「最後のお祈り」をしたのです。「イェス様。 今まで私を愛して下さってありがとうございました。我が儘言ってごめんなさい。 死んでしまったら地獄に行くのはわかっています。でも、辛くて耐えられそうにないんです。」と、 涙を流して祈りました。真剣に祈ったのは久しぶりだったかも知れません。私はとても惨めで、 価値のない人間だと思いました。

 

すると、パッと上からの思いが、御言葉となって私の心に入って来ました。 「霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 (ローマ人への手紙第12章12節)」と。私は、イエス様が、崖っぷちで片足を踏み出している私を、一瞬のうちに支えて助けて下さったのだとわかりました。イェス様は私を見放していたわけではなかったことを知り、涙が止まりませんでした。私の心はその瞬間に変えられました。絶望と悲しみの心が、喜びと感謝に変わりました。

 

年が明けて元旦礼拝の時に、いただいた御言葉のお年玉(封をされた封筒に入っている)は、先の御言葉と全く同じだったので驚きました。私は、イェス様が自分に求めておられるのは何かを知ることが出来、もう二度とイェス様を悲しませるのはよそうと思いました。

今週はずっと、倉庫部屋化した一部屋の片づけに集中していました。20年振りに洗礼式の写真が見つかったのは本当に嬉しかったのですが、この証に書いてある、御言葉のお年玉カードそのものも発見出来てとても嬉しかったです。

明日は聖霊降臨祭感謝礼拝があります。うちの教会はペンテコステ派で、古代教会と同じように、異言をを伴うバプテスマを受けて祈る教会です。過去の私のような我ではなく、御霊様によってのみ導かれる毎日としたいものです。

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