HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


3年振りのサラリー〜再々開した什一献金

先日、3月研修分〜4月までの給与を頂きました。前職を退職してもうすぐ3年なので、本当に久々の給与です。前職の毎月の残業代にもならない僅かな金額です。^^;それでも、静かな喜びと言うか、何とも言えない気持です。

什一献金もずっとお休み状態でしたが、お祈りの中で神様に「働くようになったら、必ず什一献金を再開しますから!」と約束していました。そうは言っても、何年も預金生活をしている為節約したい気持が大きかったです。

すずめの涙ほどの金額なのですが、高給取りだった頃(笑)の1/10とは訳が違います。恥ずかしい話ですが、「主よ、レプタ2枚の女の信仰を与えて下さい。」と祈り、本当に心から喜んで什一献金を捧げられるように祈っていました。^^;

そして、先日久しぶりに什一献金を捧げることが出来ました。来月からはコマ数分だけになり、あまりに少ない金額で恥ずかしい気持があり、一瞬どうしようかと思いました。でも、金額の問題ではないと思い直しました。

下記は18年前の古い日記です。(ネット上は既に削除しています。)恥ずかしい話ですが、什一献金に関してはこのようないきさつがあります。

3/11/2000(午後)
私は、先月から什一献金(収入の十分の一を捧げる献金)を再開することにしました。

私は、OL生活が始まって2年も経たない頃だったと思いますが、ごく自然に什一献金を始めたのです。 でも、信仰があったわけではありませんでした。私がW市に越してくる時に、先代の牧師先生は当時のお金で十数万円を、 引っ越し代+アパートの契約の為に立て替えてくださっていて、私は毎月感謝献金と一緒に借金返済をし続けていたのです。 ところが、しばらくすると、まだ返済しきれていないはずなのに、牧師先生は「姉妹良いよ、もう返さなくて。」と言って下さったのです。 でも、やっぱり申し訳ないという気持ちが一杯で、私はその借金返済分を翌月から什一献金に変えたのでした。

OL一年生の時の手取りは、今のサラリーの三分の一くらいしかなかったはずなのに、何の躊躇もせずに十分の一を捧げていました。 「これは私の分ではなく、神様の分だから」と。 ところが、サラリーが上がってくると、什一の金額が増えていくので、だんだん惜しく思うようになってしまいました。 (家賃が上がったということもありますが・・。)又、あることで、私は、試練に遭い(教会には行っていたのですが、肉に生きていて、 神様をそっちのけにしていたのですから、自業自得だったのですが)、 「什一献金を捧げているのに、何でこんなひどい目に遭わなければいけないの?」とぶつぶつ言い出しました。 それでも、什一は続けていましたが・・。

(長いのでこの部分は要約です:2人で住む予定で契約した2DKの部屋でしたが、事情で急遽1人で住むことになりました。その為、家賃が2倍になりました。)

私は、残業を相当しなければ家賃を払えなくなり、 什一献金をするどころではなくなってしまいました。何年もの間、私はまるで家賃の為に働いているようでした。「こういう事情だもの、仕方がないわ。 神様だってわかってくださるわよね。」と、ずっと思っていました。 そして、何回か転職をするたびに、私のサラリーはアップしていきました。 そのうち、什一献金をしなくたって、私はこんなに恵まれているじゃないと、什一献金の必要性を全く感じなくなっていました。 伝道の為にインターネットなどに相当お金を使うのだから、神様の為に使っているのだからいいやと、 本当に恥ずかしいのですが、変な理屈をつけていたのです。

(長いので省略)

証し会などで、什一献金をして恵まれたという証しを聞くたびに、 「十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。 これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさい(マラキ書3:10)」というのは本当なんだなと、改めて思いました。 以前私が什一献金に躓いた時は、信仰がなかったからしかたがなかったのかも知れません。

私は、失業中に、何故仕事が与えられないかを考えた時、自分の罪がそうさせているんだと、 私の罪の棚卸しをするような毎日でした。それでも足りず、隠れている罪もハッキリとあらわして下さいと祈り、 それを悔い改めるということを繰り返していました。 その中で私は、「什一献金をしなくなった私は神様のものを盗んでいる」と示されたのでした。 そのことを悔い改め、「仕事が与えられたら什一献金をすることを約束します。」とずいぶん叫んでいました。 そして、派遣の仕事が時々入って来た時には、その十分の一を捧げました。 私の決心が真実だということを神様にわかってもらいたかったからです。

(長いので省略)

「試しなさい」と神様御自身がおっしゃっています。 この日記を読んでくださっている方々に、私が神様の真の証し人となれるように、私は喜んで実験台になりましょう。(笑) 神様が「天の窓を開いて、あふるる恵みを」私に「注ぐか否かを」どうか見て下さい。 神様の御言葉は真実だということをきっとお分かりになることでしょう。

中には、什一献金によって信仰を得た人もいます。でも、私は自分の経験から、心から喜んで捧げる気持ちがなく、ただ聖書に書いてあるからという消極的な思いや、 無理して背伸びをした状態だったら、納得してから始めた方が良いと思います。 そうでないと、以前の私のように何かに躓いたりすると、いえ躓かなくても「惜しい」と思うようになるかも知れないからです。 私の場合は、神様は時間をかけて教えて下さり、待って下さったのだと思います。 神様は無尽蔵の富を持っておられる方です。何も私達からお金を巻き上げようとなさっているわけではないし、 お金と恵みを交換条件にしているわけではありません。

捧げ物(献金)にしてもお祈りにしても、神様が見ておられるのは、献金の金額や美しいお祈りの言葉そのものではありません。 神様が見ておられるのは、私達の真実の心なのですから。

ここまで読んで下さってありがとうございます。我ながら長い日記ですね。(苦笑)

私はHPの日記で、聖書の御言葉が真実だということを証しする為、自分が実験台になるので祝福されるかどうか見て下さいと宣言しています。(ボールドの部分)これは、神様に対する信仰告白とサタンに対する勝利宣言なのです。神様はこのことをとても喜んで下さいました。^^

その結果、思いがけず3LDKのマンションが与えられたり、会社の仕事や給与に関わるお恵みなど、本当に数えきれないほどの祝福を得ました。今回も全く同じ気持です。神様が唯一試して良いと仰っているのは什一だけです。(マラキ書3:10(ボールドの部分))

私は再び実験台になります。See what happens!です。^^

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村