HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


Schicksalって、何?^^;

一週間前の朝大学に向かう電車の中で、突然『シックザル』という言葉が浮かびました。何?と一瞬思いましたが、音的にはドイツ語かも知れないと、見当をつけてオンライン辞書で調べました。そうしたら、「Schicksal」という言葉で、「運命」とか「縁」のような意味のドイツ語だと分かりました。

何で知っていたのだろう。多分どこかで見たか聞いたかだとは思いますが、記憶というものは本当に不思議です。特に海外に行くと、英語は何時間か話しているとだんだん慣れて来ますが、昔習ったドイツ語やイタリア語に関しては、古い記憶の引き出しがパッと開くのを強く感じます。

「運命」「縁」と言えば、私は常々人との出会いや職場、本なども「縁」だと思っています。私の結婚相手の「運命の人」は現れなかったけれど。(笑)あ、でもだいぶ前、早天の時に結婚の為に祈るように導かれたような気がして、『神様今さらですか?!』と思ったことが。^^;

私を信仰に導いてくれた友達は高校の同級生です。卒業後数年ぶりで再会し、初めて教会に行ったのが今の教会です。彼女は「縁」というか、救いに導いてくれた大袈裟に言えば「命の恩人」です。又、洗礼に至ったきっかけの一つが、当時卒論に取り上げていた『緋文字』でした。

証しのページからの抜粋です。

私が教会にそのあとも通っていたのは、もう一つの現実的な理由がありました。 それは卒論の為でした。ナサニエルホーソンの「緋文字」を選んでいましたが、 実は一度も読んだことがない本でした。以前読んだ短編が良かったので、 安易に長編を選んでしまったのが間違いでした。いえ、運命だったと思います。

この本のテーマは「罪」でした。最初日本語の翻訳を読み、愕然としました。 日本語で読んでも理解出来なかったのです。一番大事な「罪」の意味がわからなかったからです。 教会に行けば「罪」の意味がわかるようになるだろうと思い、 学校の講義を聞きに行くように教会に通っていました。

こんな調子でしたから、 半年後に洗礼を受けてクリスチャンになるとは夢にも思っていませんでした。 本でも人でも、出会いとは不思議なものです。KIちゃんからの電話と卒論のことがなかったら、 私はイエス様にたどり着くことはなかったでしょう。

もしご興味があれば、ホームページの証のページをご覧ください。^^

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