HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


必要なことはただ一つだけ

最初の大学時代、親からの仕送りは普通にありましたが、色々なアルバイトを掛け持ちしていたので結構経済的には恵まれていました。卒業後はアルバイト先の塾に残る形になったので、当然親からの仕送りはなくなりました。不規則な勤務時間だったこともあり、その後数か月で体調を崩してしまいました。

先代の牧師先生から「直ぐに塾を辞めて、ひと月ゆっくり休んでいなさい。」と言われその通りにしました。ひと月経って、「先生ひと月経ちましたが、これからどうしたら良いですか?」と聞いた所、「そんな所に一人でいても仕方ないから、〇〇市(教会のある町)に引っ越して来なさい。」とのことでした。

そして、「はい、わかりました。でも、もうお金もなくなってしまいました。。」と答えた所、「教会が引っ越し代を出すから。」と言われましたので、「はい、分かりました。」とその通りにしました。(後に借金返済が什一献金へのきっかけとなりました。)信仰初心者で何も分からなかったので、素直に目に見える羊飼いに従っていました。

教会の傍に引っ越しをすること=祝福を受けることで、サタンの妨害もありました。引っ越しの直前、空を飛んで上空から教会の赤い屋根を、心躍らせて見下ろしている夢を見ました。私の牧師先生は神様とホットラインで繋がっているようなカリスマ性があり、御指導は上(神様)からのお導きなので、間違ったことは一度もありませんでした。

赤ちゃん信者だった頃はこんな感じでした。今は流石に何から何まで牧師先生に相談することはなくなりました。色々な所を通り、成長した大人の信者になって、或る程度自分で判断出来ることが多くなりました。でも、何十年も前のことを書いているうちに、ふと下記の御言葉がよぎりました。

ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
エスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
(ヨハネ2:3-5)

OL初期の頃は、何か必要になった時は教会に電話していました。「冷蔵庫(実家のお古)が壊れました。」と電話した時は、誰かのお下がりが廻って来ました。2回あります。(笑)ピアノを習い始めた時は、教会から古い足踏みのオルガンを貰いました。この頃は、心の中で思っていただけで祈ってもいなかったのに、突然誰かからプレゼントされたり、驚くことが何度もありました。

経済的に豊かになってからは、必要なものは自分で買えばすむことでした。でも、昔のような「奇跡的に与えられる喜び」のような喜びはなくなりました。今導かれて、学生に戻り、無職の状態が続いています。いつかは働かないと厳しいですが、神様は私を買い取り養って下さる方ですから、焦らずに神様に全てを感謝して委ねています。

主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
(ルカ10:41-42)

十数年前の長い失業(約一年半)で仕事を得た時、神様の「時」が絶妙のタイミングだったことを思い出します。仕事で死ぬほど忙しかった頃は、完全にマルタになっていました。今全てのしがらみから解放されて、好きな事だけに打ち込める時間が与えられていることに感謝しています。今はマリヤのような気持です。

8年前に祈りの中で導かれた答え、「今置かれている持ち場立場で勤勉に働き、その仕事でプロフェッショナルになりなさい。そうすれば道が見えて来ます。」を思います。昨年知った渡辺和子さんの"Bloom where you are planted." と繋がります。今は学業に集中して勉強を頑張っています。そうすることで、歩むべき続きの道が見えてくると信じています。^^

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