HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


一歩前進

下記は、私の2010年11月15日の日記の一部です。私は7、8年前から私の使命は何なのかずっと神様に祈って来ました。

ここ数年は忙しく、お金は充分ですから自由になる時間を与えて下さいと祈ったこともあります。(^^;どれだけ社員が増えても、担当は私一人、、少数精鋭が基本の外資では当たり前です。でも非効率になっていました。手がもう2本あればと思いました。(^^;そうしているうちに、昨年の秋に私の仕事の殆どが業務委託され、社員へのヘルプデスク的役割で更に忙しくなりましたが、新システムに社員が慣れてきた頃、私の仕事は暇になりました。死ぬほど忙しいよりも暇なのが遥かに苦痛だと実感しました。

遅かれ早かれそうなるだろうと昨年冬から思っていましたが、春になりアメリカ本社が私のポジションクローズを決めました。社内で私が出来る仕事はありませんでしたので、会社都合で辞めることとなりました。定年後の5年間は会社に残り契約社員で働くという私の計画が崩れ去りました。定年よりずっと前に退職をすることになる為、今この歳で放り出されたらどうしたら良いのと茫然としました。

でも、下の日記のように、私の何かの使命を果たす為に、色々な職種を通して遜って人に仕えることを訓練されているのは何となく感じていました。神様はどこに私を連れて行こうとされているのか、、、。でも、今回の退職のことで、神様の御計画の何かが動き始めているのがわかりました。そして、早天の教会での日々の祈りの内に、私の進むべき道がだんだんハッキリして来ました。

退職=ショック、ピンチ、でしたが、神様はどんなことをも用いて私にとっての最善をなさる方です。私にとっては、結局、退職はチャンス、新しいビジョンが与えられたその道への第一歩となりました。秋頃にはもっとはっきりお伝え出来ると思いますし、何年振りかで教会で証をさせて頂くことになると思います。サタンにちょっかい出されないように、今勝利宣言しておきます。^^

*愛は行いまで(2010年11月15日)

(中略)
私は自分の仕事を通して随分神様に練られているなぁと感じることが多いです。特に今の仕事は、自分が選んだ職種ではなく初めて異動で与えられた仕事なので、何だか社員にこき使われているようで最初の頃は本当にぷんぷんしていました。私は社長秘書で入社したのに、何でこんなレベルの仕事をしているんだろうと。

専門職ではなく単なるサポートでしかない秘書は卒業したいと、自分が望んで採用チームに異動させてもらい、感謝なことに、何年も経ってから会社が私のキャリアを考えてくれて今の仕事をするようになりました。しかし現実は・・・。私の長年の努力と投資したお金と時間は全て水の泡だったのか、無駄だったんですかとイエス様に訴えたこともありました。

でも、私が祈りのうちに導かれ納得したのは、主は私に何かをさせる為に、私の使命を全うさせる為に、その準備として今の仕事をさせ、仕事を通して私を訓練されていることがわかったからです。(使命については、徐々に導かれている為、まだハッキリはわかっていません。)当初私は、社長に仕えるのは秘書として当然だけれど、末端の社員達に仕えるなんて耐えられないと思っていました。

信仰に入ったばかりだった頃、イエス様が弟子達の足を洗うという意味が全く理解出来なかったばかりかショックでした。ちやほやされていたお姫様でしたからね。(苦笑)でも、信仰生活も長くなり、今はその意味も当然わかるようになりました。私は主から謙遜さを学ばなければなりませんでした。私は今、社員一人一人に愛を持って対応することが出来るようになりました。二年もかかりましたが・・。(笑)

そして最近では、社員一人一人をあたかもイエス様御自身だと思って対応すれば間違いないなと思えるようになりました。最初の聖句の引用にもどりますが、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』を実行することかも知れません。間接的にでも、イエス様の香りを放つことが出来ればと思っています。

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