HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


昔の証(祖父のお葬式)

お盆の時期が近いこともあり、偶像崇拝から守られた証をHPの「神様の奇跡(証)」からコピペします。何十年も前の証になります。中に出て来る赤ちゃんだった姪も既に結婚しています。

(信じて疑わないお祈りによって、偶像崇拝から完全に守られ天候も守られた驚くべき奇跡。)
日本のクリスチャンが一番神経を使うのは、仏教や神道の儀式に出なくてはいけない時でしょう。私達が拝むことが出来るのは神様だけですから、死んだ人や動物、物などを祭ってある場所に行って拝んだり、人が作った偶像を拝むことは出来ません。旧約聖書の「十戒」にも出ていますが、偶像を拝むことは神様がもっとも嫌うことです。

日頃、偶像崇拝の間違いと恐ろしさを学んでいた私は、祖父のお葬式の時はとても神経を使いました。ですから、そのお祈りも切羽詰まった必死なお祈りとなりました。お祈りのポイントは、「偶像崇拝から完全に守られるように」と「良いお天気が与えられるように」の二点でした。変に大人になってしまうと、お祈りも「御心ならば」というのが頭にありますが、初心者の頃にはそれが全くありませんでした。子供のお祈りが良く聞かれるのは、彼らが全く疑うことなく神様を信じているからなのです。当時の私も、「お祈り=必ず願いは聞かれるもの」と思っていました。

お葬式の前夜のことです。テレビも電話の天気予報でも、明日は雨、それも大雨だと言っていました。母はウンザリしていました。父方の祖父の時はお天気が悪くて大変だったからです。私は母にこう言いました、「大丈夫よ、お母さん。明日はお天気になるから。」と。母は信じられないと言った顔をして、「そんなわけないよ。天気予報でああいっているんだから。」と言いました。それは当然のことでしょう、晴れるという確かな保証は何にもないのですから。でも、私にとっては、お葬式の時にみんなが不自由しないようにお天気になるのは、神様の御心だと信じて疑いませんでしたから、「イエス様がお天気にしてくれるんだから、"絶対に"大丈夫だから安心して。」とキッパリと母に言えたのです。

翌朝、5時頃目が覚めました。そしたら外は小雨が降っていました。でも私は、「何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになるであろう。(マルコ11章24節)」と信じていましたので、「イエス様、私はお天気にして下さるようにお願いしました。今小雨が降っていますけれど、お葬式の時には必ず晴れにして下さいましたから感謝です。」と"先付け"で、感謝のお祈りを捧げました。6時台になっても状況は変わりませんでしたが、同じお祈りを捧げました。(うちの教会では、このようにして下さった(=英語でいう現在完了形)とお祈りする人が多いです。)

さて、午後になり母の実家に出かけて行きました。午前中は、今にも降りそうな空でしたが曇りでした。最も気がかりだったことは「偶像崇拝」です。当時下の姪が生まれたばかりだったので、私も一緒にお葬式に出席せずに母屋の離れの二階で待機していることになりました。不思議なことに、誰も式に出ろとかお線香をあげろとか言う人がいなかったのです。暫くして、私達が母屋に戻ったときは、お葬式が終わった後でした。あとは、親戚一同がお墓に列を作って歩いて行くだけでした。お墓に向かいながら、雨はとうとう降らなかったなと思って空を見上げました。すると、確かに周りは曇り空なのですが、私達の上だけまるくうっすらと光がさして来ました。私は、「見事だ。」と、驚きました。お墓に行ったら、お線香をあげたりお花を供えたりするのが普通ですが、どういうわけかチャンスがまわって来ませんでした。

偶像崇拝から完全に守られたことと、お天気が守られたことは、本当に大きな喜びでした。私は母にいいました、「ね、言ったとおりでしょ。イエス様はお祈りを聞いてくださる方なのよ。」と。次の日は嵐のように、強風と大雨でした。お天気を一日ずらすこともいとも簡単に出来るのは、さすが創造主だなと感心しました。

証のページは下記リンクになります。救われた時から今までのことを時系列で書いています。良かったら読んでみて下さい。

http://www2.gol.com/users/heidi/testimony/index.html


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