HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


移り変わりの中で

私の人生の中には、他の方々も同様かとは思いますが、何年かに一度大きな節目や変化、物語で言うと新しい章や展開がありました。仕事に関しては、3年前の今頃はまさにturn over a new leaf状態でした。心機一転というか再出発により近い感じでした。というのも、自分でやりたい仕事を選んで転職を続けて来た私が、会社から今の仕事を勧められて、というか残された道がそれしかなかったのです。(サラリーマンですからね・・・)

3年前の今頃はオフィスから出て外部で新しい仕事の為の研修を受けていました。会社に戻ってからは、正直何度も心の中で『こんな筈ではなかった。何で?』と言う気持ちが何度も襲って来て、その度に神様に祈って納得のいく答えを頂いて来ました。最初の一年は仕事を覚えることで必死でした。机上の勉強と実務は随分違い苦労しました。イレギュラーなことが多く、電話が来る度に慣れた人の席に走って行っては聞き、社員に答えていることが殆どでした。

その人が辞めて、担当者が完全に私一人になったのが昨年1月でした。この仕事もあの仕事も、本当にバランス悪く私一人に振られていてパンクしている上に後任を取らないことになり、一時期は死ぬほど忙しく「イエス様。経済的には充分ですから、人間らしい生活が出来るようにして下さい。」と祈っていました。上司が産休に入り新しい上司の元で働いていた期間に、早いスピードで仕事の効率化とペーパーレス化が進み、又仕事の割り振りがイーブンになったことで私の負荷が信じられない位減りました。感謝です。

そして、9月からギリシャ語教室に通えるようになりました。(決まった時間に教室に行くというのは以前では不可能でした)新しい外国語の学びや、先生やクラスメートから良い刺激を受けています。そして、奇跡的に7人のキャンセルが出て参加出来たイスラエル旅行でも、又新しい交友関係が出来ました。彼女達とは月一で中川先生のフォーラムに参加しています。本当は毎週行きたい所ですが、聖歌隊の練習があるので月一だけにしています。姉妹方とは旅行の最初から打ち解けました。主にある姉妹方とは、時間の長い短いは関係なく親近感があります。

又、3週間前に某英会話喫茶に20数年ぶり?に出かけました。ネットワークを広げたいと思っているならば一歩踏み出さないと、とすっかり出不精になっていた自分に言い聞かせ、自分のお尻を叩いて苦手なパーティに行きました。向かう途中、「イエス様、私は社交的ではありません。でも、誰かと話しお友達が出来ますように。」と祈りながら行きました。20代とか相当若い人達が多いパーティでどうしようと思っていたのですが、そこで年が割と近い日本人の既婚女性と出会いました。2時間その人と話してパーティは終わりました。(呆)

英語を勉強してアメリカで仕事を探しているというその人には申し訳なくて、「ごめんなさい。私の為にせっかく英語を話す機会が出来たのに日本語しか話せなくて。」と言ったら、「heidiさんに会えただけで嬉しいから。気にしないでね。」と言われホッとしました。採用担当を長年やって来た私です。専門職のキャリアは充分にあっても、現実的に英語が厳しいんじゃないかと思いましたが、彼女の熱意が半端ではなく圧倒されました。「前向きでやる気がみなぎっている輝く目」を持った人を何年振りかで見ました。何だか嬉しく、新しいエネルギーを吹き込まれたような気持ちになりました。

彼女との出会いは本当に運命的だと思います。イエス様がタイムリーに私に与えて下さった波長の合うとても素敵なお友達です。クリスチャンではありませんが、私の信仰体験の証のような話も普通に聞いてくれるタイプの人です。聖書を読んだり教会に行ったこともある人でした。英語の勉強で彼女にサポート出来ることはしたいと思い、その為最近珍しく英語の勉強も真剣にやっています。(苦笑)先週は別の英会話喫茶に彼女を誘い行って来ました。そこは東京で2番目位に古い英会話喫茶です。でも、いつものオーナーが居ず、知らないアルバイト風のお兄さんがいました。(実は新オーナーでした・・)皆オーナーを慕っていたのでがっくりしていました。

新旧交代のようなことが、ここ一ヶ月の間に目まぐるしく起こっています。何年も目を楽しませてもらったラベンダーがついに枯れてしまいました。種から育てたので愛着があったので寂しいです。この写真は新しいラベンダーです。会社でも変化がありました。詳しくはいつか書くかも知れませんが・・・。全てのことには主が良しとした時があることをしみじみと感じています。全ては私にとって益となることは間違いないので、変化を慌てず驚かず不安を持つことなく、ただ主を信頼して前進するのみです。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。(伝道の書3:11)


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