HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


懐かしい声

土曜日の早天後の兄弟姉妹方との信仰の交わりから学ぶことは多いのですが、昨日もN姉とちょっと長めにお話をしていました。彼女は信仰の大先輩であり、以前日記でもいくつかご紹介しましたが、奇跡的な証を沢山持っている姉妹です。一番最初に彼女と話した時、お互いの証が沢山あって、神様がいかに素晴らしい方であるかということを延々と話しているうちに夕方になっていたというエピソードがあります。(笑)

私が最近特に強く導かれ学ばされていることは癒しについてです。まだ学びの過程なのですが、N姉の証体験はまるで実践的な教科書のようです。彼女は生まれながらの虚弱体質で良く生きていたといわれていたそうですが、救われて癒しの信仰が与えられ、今は完全な健康な身体になったのです。彼女の信仰は本当にシンプルで子供のようです。偏頭痛を起こしがちな私に対しても、「神様にお祈りして、健康な身体をもらえば良いんだよ。私ももらったんだもの。」と実体験に基づいているので本当に力強いです。

今日古いカセットテープを取りだして聴いていました。何と私が24歳の時に初めて証をした時の日曜礼拝の全てが録音されていました。これは私を教会に導いてくれた友達が当時録音してくれたのです。何とも心もとない消え入りそうな若い声(笑)の私!それは良いとして、22年前に亡くなったK先生の声の優しくて力強くて、茶目っ気のある懐かしいメッセージでした。本当に神様とツーカーの人でした。まさに牧師になる為に生れたような人で、絶対にこの世と妥協しない信仰を持っておられました。会社でもクリスチャンの旗印をしっかり掲げるようにとおっしゃったのも先生です。私はその通り、ずっとそうして来ました。その祝福は大きいと思います。

先生の長〜いメッセージのほんの最初の部分ですが、テープおこしをしてみました。証会だったので、証人の話の前の導入部分です。噺家風の話し方です。(笑)↓

恵みを数えるということは恵みを忘れないということですね。『全ての恵みを忘るるなかれ』とありますが、その恵みを何故忘れるかと言うと、その恵みを数えないからですね。数えると沢山の恵みがあります。そうしますと、その恵みに感謝していく、本当に主の大きな愛をしみじみと味わうことが出来るんですね。それで主から離れることが出来ない。主から離れる人というのは、恵みを数えない人なんですね。主の受けた恵みを当り前だと、そのように思うんですね。思ってしまうともう駄目ですね。当り前ではなく恵みは与えられる資格がなくても与えられたんだということでね、これを大いに感謝して行かなくてはならないわけなんですね。資格があって与えられたのは恵みとは言いません。報酬というのです。

『全ての恵みを忘るるなかれ』は文語体で、今は新改訳だと『神様の良くして下さったことを何一つ忘れるな』でしょうか?(間違っていたらすみません。)天国のK先生、私はこれからもずっと、キリストの証人として大胆に証して行きます!