HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


お恵み感謝

新会堂建設の為の献金が始まった時、果たしてどのくらいの金額が良いのか最初は見当がつきませんでした。それで祈ることにしました。お任せしたからには、神様から金額を示されたらその通りにしようと思っていました。祈っている過程でだんだんと導かれ、先日やっとこれで決定という確信が来ました。感謝なことに、今年も臨時賞与が出ることになり、いくらもらえるのかは給与明細を開けるまではわかりませんでした。

昨日夕方買い物に出かける時、何気なくポストに入っていたハガキを取って、それを開けて見ながら歩いていました。それは某保険会社が株式会社になったことで、私に割り当てられた金額が書いてあり口座に振り込まれるという案内でした。最初私は「へぇ、もらえるんだ。ラッキー。」と思っただけでしたが、その後銀行で通帳記入をした時、既に貰った賞与の金額を改めて見てビックリしました。

それは、私が献金しようと思った金額は、それを差し引いた賞与に割り当て金を足したのとほぼ同じ金額だったからです。私にとっては、献金は少ない金額ではありませんが、捧げる献金と同じ金額がちゃんと手元に残るように神様が配慮して下さったことに嬉しくなりました。貯金も出来ず銭湯に通っていた頃を思うと、今は本当に豊かになった、いえ、豊かにして頂いたとつくづく思います。与えられるようになったことは幸いです。

ちょっと前になりますが、自分の誕生日(30日)くらいは仕事から解放されたいと早めに退社して教文館に向かいました。30日は私のHPの13周年記念日でもあり、その記念日にやりたいことがありました。大袈裟なことではありませんが、家庭集会で人数が多くなると、私の何十年も使っている聖書や新約聖書(日本語、日英対訳)だけでは対応出来ない為、口語訳の聖書を何冊か買いたいと思っていたのです。

とりあえず3冊買って来ました。(比較するのは変ですが、私の声楽の一回のレッスン代とほぼ一緒の金額でした。正直、3冊も買えるんだなぁと思いました。)これから先、家庭集会に参加するであろうノン・クリスチャンにはそのままその聖書をプレゼントしようと思っています。その為にも、もっと聖書を用意しておきたいと思っています。長年使った聖書の表紙がボロボロで、Y君には『(遺跡から)発掘したみたい』と言われているので(^_^;;、自分のも新しくして、線も引いていないまっさらな聖書で再スタートしてみようかなと考えています。