HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


新年を迎えて〜初早天祈祷会

8月から早天祈祷会を再開し、会社も早出するようになり、仕事の効率化が図れたり物事がうまく回っていました。早めの出勤時間はそのままずっと継続出来ていましたが、平日の早天祈祷会は続かず、気が付いたらいつの間にか細々と土曜日の早天に繋がっているような状態になっていました。自分が強い意志を持ち続けていないと、いつの間にか生ぬるくなってしまいます。生ぬるい信仰を主は喜ばれません。

わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。(黙示録3:15-16)

今年は又一段と忙しい年になることが分かっています。これまで仕事で頼りにしていた経験豊富な同僚が年末に退職をしてしまった為、もう(実務としての)仕事をフォローしてくれる人がいなくなりました。これは、私がもっと専門的な知識を深め、担当窓口として完全に自立しなければ仕事がまわらなくなることを意味しています。更に又組織が変わるので、新しい上司が誰になるかによっても大きく左右されるのです。順調に前進出来るのか、また大きな障害物をおかれる試練が始まるのか・・・全く見えません。(^_^;;いずれにしても、全てのことがらは主のお許しの中にあることなので、最終的には、良くも悪くも変化は進歩に繋がると信じています。

今朝早天祈祷会で、兄弟姉妹と談笑していた時に、T兄の御言葉のお年玉が『なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。』の箇所だったらしい。私は、「え?信仰歴何年なの?まるで初心者にしか行かない優しい御言葉よね?(笑)」と思わず言ってしまいました。牧師先生がお年玉を配る前に「不平不満を言わないように・・」とわざわざお祈りに入れているのは、中には厳しい御言葉も入っているからなのです。不思議と厳しい言葉は信仰歴の浅い人には行かないので、何故なのかなと聞いたわけなのです。

すると、「お祈りする時に、『ちゃんと聞かれるのかなぁ』とか完全に信じられないで祈ることがあるから、信じて祈りなさいと言うことかも知れない。」と笑っていました。納得です。(^_^;;私は初期の段階で、信じて祈ったことは叶えられたという信仰が与えられたので、疑いつつ祈ったことはありません。先代の牧師先生からは、1%でも疑いの心を持っていたら祈りは聞かれないと教えられていました。先生は明治生まれで、世の中と妥協しないハッキリとした信仰を持っていました。古い信者はすっかりそれを受け継いでいます。

今年はもっと主のお手伝いが出来るようになりたいと思っていますので、仕事に振り回される生活には絶対ならないように、その為にもやはり原点にかえり、再び平日の早天祈祷会にも参加しようと思いました。今日はその第一日目となりました。私はもっともっと低くされへりくだり、それによってもっと神様の御声を聞くことが出来るように、日々主の御声に従って行けるようになりたいです。