今日は新年礼拝でしたので、新しい「御言葉のお年玉」を頂きました。いつものように、最初に自分の分、次にY君の分をピックアップしました。Y君のは後日彼自身に封筒を開封してもらうので、次の家庭集会の時に渡そうと思っています。
御言葉のお年玉は、カードに毛筆で書かれています。牧師先生が「一人ひとりにふさわしい御言葉が与えられ、決して不平不満を言わないように・・」のようなお祈りをしてから(笑)、役員さん達が封筒の入った箱を持って前から順番にまわって歩きます。私はいつも最前列に座っているので、中身は見えないものの選び放題なのですが、いつも私には私に必要な御言葉がY君には彼に合った御言葉が不思議と与えられています。
今日その毛筆の奉仕をされているK姉に聞いたところ、400枚を彼女が書きあと100枚はH姉が書いているそうですが、K姉にはいつもH姉が書いたカードが与えられるそうです。枚数的にはK姉の方が多いの不思議だと言っていました。それにしても、400枚って・・、本当に愛の労苦ですね。
今年はこの御言葉を頂きました。
節全部は下記の通りです。
イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。(ヨハネ6:35)
昨年の御言葉『何をするにも人にたいしてではなく主にたいしてするように心から働きなさい(コロサイ3:23)』を頂いた時は、その1、2ヶ月前に既に同じ内容の御言葉が語られていたので、やっぱり・・という感じでした。そして、当時仕事のことで迷いがあった私は、日々の仕事を通してそのような私に変えられるのだと主に期待した一年となりました。
私はOL1年生の時からずっと、自分が望んだ仕事を選び獲得して来ました。自分の能力以上の仕事が与えられたり本当に恵まれて来たと思います。でも、異動で自分から選んだわけではない仕事をすることになり、何で自分の得意分野を生かすことも出来ない仕事をゼロから始めることになってしまったのか理解出来ませんでした。
次第に、それまでの全ての仕事を通して、主が私を練られていることがだんだんわかって来ました。主が何かをさせる為に、私をへりくだる者となるように訓練されていることがハッキリとわかり、又今の仕事の自分の役割を理解出来るようになりました。私はもはや自分の考えではなく、ただ自分自身を主の御計画にお任せするだけですという気持ちに変えられて行きました。
私は主のしもべとして、主が望まれるならば何でもします、主の手足として用いて下さいという祈りをするようになっていました。ただ主を信頼し、主に全てを委ねて、へりくだって歩んで行きますという気持ちでいます。そして、今年の御言葉を頂きました。私は更に忠実な主のしもべとなり、主第一の生活に変えられて行くことを信じ期待しています。