HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


これからが本番


今朝教会の早天祈祷会の帰りに撮った馬小屋のヨセフとマリア人形の写真です。まだクリスマス前なので、飼い葉桶の中は空です。(笑)見えにくいですが、飼い葉桶手前の看板には色々書いてあり、最後の文章しか読んでいませんが、『拝む対象ではありませんので、拝まないでください』と書かれていました。ヨーロッパでカトリックの教会を沢山見て来ましたが、キリストやマリア像が沢山置かれていました。赤いロウソクに火をともし、両手を合わせて拝む人が後を絶ちません。偶像崇拝はいけない筈なのに・・・。

私はクリスチャンファミリーではない家に生まれました。最近はクリスマスの本当の意味を知らない子供達もいるそうですが、田舎の子供であった私でさえも、イエス様がお生まれになった日だと知っていました。クリスマスの朝起きると、不思議と枕元にお菓子の入った銀色の靴が置いてありました。誰が置いたのか子供の頃は謎でした。(笑)

又、家の裏庭にひいらぎの木があって、それを切って来て家の中で飾っていました。そう言えば、クリスマスケーキにもひいらぎがのっています。当然ひいらぎの意味などわかる筈もありません。ひいらぎは常緑樹として永遠の命を意味し、又その赤い実はイエス様が私達の罪の為に流された尊い御血をあらわしているそうです。クリスチャンになってから知りました。

いつもこの時期になると、コマーシャライズされた町はクリスマスデコレーションで華やかに彩られ、師走の慌ただしさなのかクリスマスに何となくうきうきしているのか活気があります。でも、クリスマスの本当の主役はイエス様です。

エス様は神様でありながら、人間のお姿を取って馬小屋でお生まれになりました。しかも、汚い飼い葉桶の中にです。それは私達の汚れた心をもあらわしています。クリスマスは12月25日ばかりではありません。イエス様を救い主として信じると聖い神様の霊が心に宿ります。汚い飼い葉桶のような心に神様をお迎えした時が、一人ひとりにとってのクリスマスではないでしょうか。

クリスチャンになっても、人生全てがバラ色になるわけではありません。色々あるのはクリスチャンであってもなくても一緒です。でも、決定的に違うことは、イエス様と一緒に歩む人生には祝福があるということです。試練を通されることがありますが、それをも用いて益として下さいます。イエス様を信じていれば人生に失望することはありません。(^_^)

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
(ローマ10:9-11)