HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


イエス様のように

今日はめまいと吐き気がし仕事が続けられなくなったので、昼過ぎ頃仕事を中断して帰宅しました。自律神経失調症の時のような症状だったのでかなり焦りましたが、家で横になりゆっくり休んでいるうちに何とか回復して来ました。8月に入ってからは絶好調だったので、体調が悪いのは久しぶりでした。

横になって本を読んでいた時、下記の聖句の後半に胸がつまり泣いてしまいそうになりました。ここ最近早天で導かれて祈っていることは、「私の我をうち砕いて下さって空っぽにして下さい。そして、あなたが望まれているように、日々私を新しく造り変えて下さい。しもべをあなたの手足としてお用い下さい。」です。

祈りの9割以上は、誰かの為のとりなしとたましいの救いの為の祈りです。お祈りの妨げになるのは自分自身の罪ですから、聖霊様に心を探って頂いて罪をあらわして頂き悔い改めをすることを最も重要と考えています。そして、自分の考えではなく主の御心だけがなるように、主の御心が自分の思いとなるように祈っています。

主が私に求められているのは、主のように仕えるもの、へりくだった心を持ったものとなることだと感じています。主が仕事で貿易事務から社長秘書に導かれたのは、ボスに従うことで主に従う雛型として訓練され、そして人事の今の仕事を通して、もっと下の自分と変わらない社員一人ひとりに仕えるようにして、私自身を訓練されていることが良くわかりました。

主が私を用いる為には、そのような訓練を通して練られなければならないのだと確信しています。具体的に主は私に何をさせようとしておられるのかずっと祈っていますが、少しずつ明らかになって来ています。私は自分の為ではなく主の為に生きるようにと導かれているようです。主が自由に働かれる為には、私が無になる必要があるのです。その為にもっと祈らなくてはと思っています。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(ピリピ2:3-8)新改訳