HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


脱出へ

下の日記の続きです。

大分前本棚から大量の本を全部出し、どれを捨ててどれを残すかまだ整理が出来ないでいました。17日(火)朝、たまたま出ていたピール牧師の本を手に取り、何か手掛かりが見つかるかも知れないと、導かれるままに通勤電車の中で読み始めました。ピール牧師は、10数年前私の信仰生活と人生に大きな影響を与えた『積極的考え方の力』という有名な本の著者です。

この本は多分以前原書で読んだのかも知れません。あまり印象に残っていませんでした。でも、さすがにピール牧師の著書だけあって、読み始めてすぐに引き込まれました。(まだ読み始めなので、あえてタイトルは出しませんが・・。)先の本は一般の人達にも読まれている本かも知れないのですが、この本は聖句が多く引用されていました。

色々な問題が起こったとしても、神様はその問題をも用いて益に変えて下さる方です。そして、何よりもそれを通して、神様と私の関係をより深く結び付けて下さるのです。何回かの大きな試練を通ってからの方が、私の信仰は弱まるどころか強められ、神様への絶対的な信頼と確信はゆるぎないものになって行きました。

私にとって一番大切なのは、人よりも神様との正しい関係です。これが信仰生活の基盤になっていないとぶれてしまいます。なので、いつも心の中を聖霊の光で照らして頂き、悪しき思いを探って頂いて変えて下さいとずっと祈ってきました。それでも、サタンは巧みで、私を絶望と暗闇の世界に引きずり込もうとしていました。

本を読み始めて直ぐ、私から喜びと情熱が失われてしまっていたことに気が付いたのです。(本来私は熱い人間なのです。)沈みがちな私の心に一筋の光が差し込んで来た瞬間でした。情熱がなければ何をするにも喜びがありません。本に書かれていたことは、神様からのストレートなメッセージでした。

毎日の仕事を無感動のままこなしていると、仕事は難しくなったり、退屈なものになったりする。仕事を日常の雑用なみに考えているようでは、うまくいくはずがない。

全く自覚していませんでした。今年の御言葉のお年玉の通りに、主に仕えるように人に仕え、神様の愛を間接的に伝えるような仕事を心がけていたからです。でも、今の仕事は単調で大量なエンドレスの入力作業などもあり、貿易事務の時船積書類をマシンガンのようにタイプを打ち続けて以来、というかそれ以上の量なのです。質より量の仕事は初期のうちに卒業し、量より質の仕事に職種を変えて来たのに今更何で・・・という気持ちもどこかにあったかも知れません。

単調な仕事は、まるで工場の大量生産のエンドレスにベルトコンベアに乗って来る、流れ作業をしているように感じていました。私が派遣の採用をしていた時、コピーファイリング(と言っても、専門的で守秘義務のある内容)のクラークのインタビューで、「このお仕事は一見とても単純で簡単のように思われるかも知れません。でも、この仕事を大きなプロジェクトを成功させる為の重要な仕事の一部として全体を見られるか、あるいは単調なコピーの繰り返しだと目先のことしか見られないかで違ってきますよ。」と言っていたことを思い出しました。まさに、今の私に必要な言葉ではないか・・・。(^_^;;

私は短い期間とはいえ、自分で自分の心を牢獄に閉じ込めていたのかも知れません。本当に重苦しく身動きが取れませんでした。原因が見つからないうちはけっして牢獄から解放はされませんでした。別のことに執着し希望をイエス様に置いていなかったこと、又、喜びと情熱が薄れていたことに気がついてからの心の回復はあっという間でした。

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18日にご紹介した『You are my all in all』という讃美によって私は励まされ癒されました。英語の歌詞の一部に『You are my strength when I am weak. You are the treasure that I seek.』『When I fall down, You pick me up. When I am dry, You fill my cup.』というのがあります。この歌をランチの帰り道、大きなボリュームで聴いていた時、あたたかい日差しが木々の緑の葉っぱをキラキラと照らし、それがこの上もなく美しく輝いて見えました。

そう、同じ世界が輝いて見え始めたのです。うちの牧師先生が、救われた時に『鳥も植物も見えるもの全てが神様を讃美しているように見えました。木々の葉っぱがキラキラと輝いて手を叩いて神様を讃美しているように見えました』と良くおっしゃるのですが、その感覚と意味が、ハッキリと自分の経験としてわかったように思います。