HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


切ない・・・

1、2ヶ月前に、教会の△△さんにスミ・ジョーさんの歌声の素晴らしさを話した所、是非聴いてみたいとのことでCDをお貸ししていました。体調が時々すぐれない時に聴くと、彼女の透明感のある美しい声がとても良く癒されると喜んでおられました。

教会の青年会が毎月映画鑑賞会を行っているのですが、2月の映画は『Jesus』でした。この映画はキリスト生誕2000年記念として作られたもので、9年前に国際フォーラムで超教派のクリスマスコンサートがあった時、記念にこの映画のビデオを無料で頂きました。

△△さんは都合が悪く観れないということでしたので、翌週家から持って来る約束をしていました。ところが翌週彼女の姿が見えなかったので、隣の席に座っていた△△さんの親しい人に聞くと、何と5日前に御主人を亡くし告別式が終わったばかりだという。御主人はクリスチャンではなかったようですが、とても優しくハンサムな御主人だったそうです。

私も教会のО先生(プロの音楽家で、クラシック界でも良く知られている方)が亡くなった時は、いずれ天国で会えるにしても、もうクラシックや習っているアリアの話など親しくお話することが出来ないのが寂しくてたまりませんでした。前夜式でも泣かずにソプラノの讃美リードの役目は果たしたものの、家で昨年のクリスマスコンサートのDVDで先生の嬉しそうな姿を観たら、たまらない気持ちになり声を上げてポロポロ涙をこぼして泣いてしまいました。

他人であっても親しかった人を失う寂しさがこれ程なのだから、ましてや何十年も人生を共にした伴侶となると、△△さんがどれだけ寂しく悲しく辛い思いをされているかと、考えるだけでたまらない気持ちでした。今日恵みの御座でお祈りをして頂いた後、まだ照明が暗い中お祈りの時間は続いていましたが、台所に行く途中名前を呼ばれて振り向くと、一番後ろに△△さんが座っていました。

見るからにやつれて、私は彼女の手を握って話を聞くことしか出来ませんでした。とても突然だったらしく、救急車を呼んで運ばれて・・・。とても優しい御主人だったとおっしゃっていました。私は、慰めの言葉も見つからず、ただ涙をポロポロこぼして彼女の手を握っているだけでした。御主人がクリスチャンになる前に亡くなったので、そういう意味でも辛いと思います。私も父がそうだったので、本当に心残りでどれだけ自分を責めたか知りません。

しかし、全てのことには主の時があり主のお許しの中にあることで、特に人の生死の問題に関しては人間が口を挟むことは出来ないと、父の死に直面した時にそう納得したのでした。私は彼女に対する慰めの言葉が見つかりませんでした。でも、数週間前にお貸ししたままのスミ・ジョーさんのCDと、『Jesus』のビデオに慰められていることを聞き、間接的にささやかではありますがお役に立てていることを嬉しく思います。

確かスミ・ジョーさんが夏頃に来日する筈なので、△△さんをコンサートにお誘いしようかと思っています。