HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


感激のメール

3日の日記の中で、教会の講壇の壁に大きな毛筆の掛け軸がかかっていて、その言葉を読んでいるうちに不安な心が平安に変えられたことを書きました。聖句を引用するのを忘れていましたが、下記の御言葉です。

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。(マルコ11:24)

私の長い信仰生活の中で、初期の頃に一番ストレートに心に入った御言葉でもあります。祈りと言うのは大抵今現在から未来のことを祈るものですが、私の教会の人達は、(英語の文法用語で言うと)現在完了形の時制で祈ります。未来のことなのに「〜〜となりましたから感謝致します」と、最初は何で時制が違うんだろうと思いましたが、先の御言葉が祈りのベースになっているからなのだと後でわかりました。

神様は私達の全てのことを考えて下さっているのですから、何も心配することなく疑うことなく、ただ信じて委ねて主の平安の中にいさえすればそれで良いのだと思いました。たとえ今の状況が最悪だったとしても、神様は必ず全てを働かせて益となるようにして下さいます。教会で祈っていただいた仕事のことは、どのような方法で解決するのかわかりませんが、神様に完全に委ねました。

            * * * * * * * * * *

この週も前の週と全く変わらない激務の日々でした。でも、決定的に違ったことは、心が平安と喜びに満たされていたことです。人の幸福感って、やはりその心に喜びがあるかないかによるのだと改めて思いました。そして自分一人で重荷を負ってがむしゃらに頑張っていた自分は疲れていたことに気が付きました。

連休明けに上司とミーティングを持ちました。今の現状を包み隠さず話しアドバイスを得ることは出来ましたが、引き継ぐべき業務は先に延ばすだけで結局私が引き継ぐしかないのだと理解しました。出来ない業務量じゃないと言われてしまうと、自分の能力を疑われるのは嫌なので出来ないとは言えませんでした。出来ないと言うことは恥のような気持でした。

翌日HRヘッドが私のパーティーションの所に来ました。彼は前回もそうですが、まるで神様が連れて来たようにタイムリーに私の所に来たのです。(笑)今回も、遅くまで残っている私を気遣って下さいました。私は思わず、前日上司とミーティングを持った内容を話しました。そして引き継ぐ根拠がない業務が更に増えるとパンクしてしまう、もうこれ以上出来ません・・・と思わず本音を言ってしまいました。

ちょうどその日、子供が小さいので時短で働いている人も同じように苦しんでいることを知りました。傍から見ると、残業しないでむしろ楽をしているようにしか見えませんでした。でも、家に仕事を持ち帰っても仕事は終わらない、悲しくて涙が出てきたと初めて聞いた時は本当に驚きました。結局管理職でない私達は、出来ませんと言える立場ではないのだと、上の人達を通り越してHRヘッドに直談判するしか方法はないのかもとため息をついていたのです。

HRヘッドは、それぞれの仕事の配分を考えてチームとして助け合えるような仕事のやり方が良いと考えていることは、先日の話でも良くわかりました。同僚が泣くほど悩んでいることを知った私は、やっぱりヘッドに言うしか何も変わらないと思い、木曜日の夜中に家からながーいメールを書きました。私達は悲鳴を上げている、何とかしていただきたいと伝えました。

驚いたことに、金曜日の朝7時すぎに返信のメールが来ていました。そのメールには、ねぎらいといたわりの言葉に溢れていました。仕事量の適正配分の件はすぐに解決し、一人ひとりの公私バランスが取れるようにすると。必ず改善すると力強い言葉で書かれていました。彼は強いリーダーシップと実行力を発揮して、部内も会社全体も変革している人です。その上一人ひとりのスタッフのことにも気にかけて下さる。何てカッコいい人なんだろう。やはり神様が連れて来て下さった人なのだと、改めて神様に感謝しました。