HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


姉妹方から学ぶ(2)

○○姉宅に行く為に、音合わせの後△△姉と自転車で待ち合わせをしていました。先生宅には、小雨でしたが傘をさして行くことにしました。ところが、出がけにタイヤの空気が殆ど入っていないことに気が付き慌てました。咄嗟に、マンションの自転車置き場に転がっている、壊れかけた空気入れを見つけて、時間はかかりましたが僅かでも入れることが出来ました。先生宅に間に合わなくなってしまう為、白いワンピースも着替えず手は汚れたままで出かけて行きました。しばらくタイヤの空気が入っていないまま良く自転車に乗っていたと思うのですが、どおりで道路のでこぼこが直に当たると思っていました。(^_^;;

時間が押してしまい、ドタバタと音合わせをすることになってしまいましたが、先生の門下生の中では一番上手なYさんの歌を久しぶりに聴くことが出来ました。彼女は音大出身で、元々先生の高校教師時代の教え子です。再び先生のところにレッスンに来た時は、変な発声の癖がついてしまっていて、それを取るのがかなり大変だったと聞きます。指導を受ける先生によって左右されてしまうと言うのは良く聞きます。流石に発表会のトリの人だけあって、私がまだまだ足りない声量や力強さがあります。私の一番身近な目標です。

△△姉とはスーパー前で待ち合わせをし、△△姉に自転車の空気が殆ど入っていないことを話すと、「heidiちゃん途中で合流する☆☆姉宅で空気入れを借りたら」と言ってくれました。☆☆姉は小雨の中空気入れを持って来てくれ、私が空気を入れようとしたのですが、スカートや手が汚れてしまうから良いよと、自分の手を汚してまで空気を入れてくれたのでした。私は傘を差して彼女も自分も濡れないようにしているだけでした。本当に助かりました。自分が逆の立場だったら同じように出来ただろうかとふと考えてしまいました。

私は昔から人の為に自分が泥だらけになることはなかったなぁと思いました。いえ、自分の好きな人だったら或いは出来るのかも知れませんが、咄嗟に誰に対してでも同じように出来るかと言ったら、出来ると言える自信はあまりありません。若い頃から、heidiの手が汚れるから(代わりに)やってあげるとか、今思えば他の人の手を煩わせる場面が多かったような気がします。それだけ私の周りには優しい人が多かったのかも知れません。私が昔良く生活感がないとか姫とか呼ばれていたのはそういう所以だったのかなと思います。

信仰に入ったばかりの頃はまだそんな状態だったので、神の御子であられるイエス様が弟子の足を洗われ、『主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。(ヨハネ13:14)』という教えに驚きショックを受けました。社長秘書の時は上の役職の人達ばかりとの世界でしたが、採用チームに異動した時はもっと下の管理職の人達、そして今の仕事は社員全員が対象の仕事です。

あの頃と比べても、そんなに変ってはいないかも知れませんが、仕事を通して少しずつ学ばされているような気がします。何しろ今の仕事は、相手の立場に立って一番良いようにしてあげられるようなサービス精神がとても大事だからです。私もいつか、躊躇することなく、自分が泥だらけになって人を助けられるような、愛のある謙遜な人になりたいです。きっとイエス様がそのようにして下さると信じています。