HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


プチスランプからの脱出

毎日が目まぐるしく過ぎて行き、気がついたら日記が2週間も空いてしまいました。こんなことはHP始まって以来かも知れません。(^_^;;

新しい業務の担当になってから約2ヶ月になりますが、社員からの業務の引き継ぎも完了し、仕事そのものには大分慣れて来ました。前職は月末のヘッドカウントレポートの為に必ず出勤する必要がありましたが、それ以外はスケジュール的には調整出来る仕事でした。でも、今の仕事は、決められた日に必ずやらなくてはならない業務がいくつも月のうちに散らばっている為、長期の休みを取るのはやや厳しそうです。それでも、この前の日記にも書きましたが、これまでのストレスフルな業務からは解放されています。

年が明けてから仕事絡みの試練と変化の波の中にいた時は、本当に必死になって早天祈祷会に通い祈りました。そして、神様からのお恵みとお導きにより試練を乗り越え、大きな感謝と喜びの中で新しい道を歩み始めました。でも、最初は新しい業務を覚えるのが大変でしたが、だんだん慣れて来て色々なことが見えて来るにつれ、何だか説明がつかない気持ちで一杯になりました。毎日が単調な事務作業、ほとんどが社員相手の仕事、ますます英語を使わない仕事に、私がやりたい仕事は本当にこの仕事なのだろうかとわからなくなってしまいました。

振り返ってみると、私の仕事は貿易事務から始まり、もっと英語を使ったレベルの高い仕事を目指していくうちに、気が付いたら外人付の社長秘書になっていました。やりがいのある仕事ではありましたが、トップが変わるたびにリスキーな立場に置かれる不安定なポジションで、所詮秘書はサポート業務なので専門職でない仕事は弱いと感じていました。その後未経験で人事部に異動出来たのは本当に大きなお恵みです。

そして今に至るわけですが、私が何だか悶々としていたのは、スランプだったのかも知れないと思いました。要は私は目標を失ってしまったのです。私の目指していた仕事の集大成が今の仕事とはとても思えません。自分の得意不得意分野があるとしたら、私の得意分野は殆ど今の仕事に生かされていないように感じていたからです。どうして良いのかわからずに、やっぱり祈るしか脱出の方法はありませんでした。

私はつい数週間前に仕事の証をしたばかりなのに、こんなはずじゃなかったと思い始めていましたので、率直にイエス様にお話しし祈りお導きを待っていました。私は仕事に関するビジョンが見えなくなっていたのです。エキサイティングとか遣り甲斐とかを感じる仕事ではないような気がしました。何を目標にしたら良いのでしょうと祈りました。通勤で駅に向かう途中に導かれた御言葉は下記の聖句でした。

小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。(ルカ16:10)

引き続き電車に乗ってデボーションガイドを見ていた時も全く同じ御言葉が導かれました。確かに今の仕事では大きなビジョンは見えないけれども、今置かれた立場で与えられた仕事をきちんとこなし、プロフェッショナルになることが先決なのではないかと感じました。小さな仕事を忠実にこなしていくうちに、必ず次の道は開かれて行くと信じます。とりあえず、今はこの御言葉でスランプを抜け出しました。