HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


自分の昔の日記に・・・

実は何年か前から仕事のことで悩みや不安を抱えていました。今の仕事は嫌いではありませんし、プレッシャーはあるものの楽しくやっています。かつては英語を使った仕事がしたいと転職をし、やりたい仕事を選び恵まれて来ました。でも、ある年齢になったらそれは難しいことでした。

人事に移って派遣の採用をするようになり、英語から離れた仕事になり、英語力は落ちる一方で危機感を持つようになりました。貿易の仕事や外人付きの秘書も一生懸命やりましたが、それを卒業した今英語を使えるからと言って再びそれをやろうとは思いません。

しかし、私の定年までの今後のキャリアは生活はどうなるのか、今のままではだめだと感じることが多く正直悩んでいました。普段は日々の仕事に追われて忙しいので、自分をだましだまし来てしまいました。私の心の声は、本当にこの仕事を続けたいのか、自分は本当は何がやりたいのかと囁き、全然わからなくなってしまいました。

正直ここ6、7年は自分のキャリアよりも生活の安定の方に心が向いていましたから・・。仕事のことでは、恵みの御座でも昨年12月位から祈って頂いていましたので、主のお導きがどうなるのかと待っていました。そしてあることが起こりました。来週私は祈りつつ大きな決断をしなければならない状況に立っています。

私は今の会社で8年間恵まれすぎるくらいでした。待遇も何もかも素晴らしいお恵みでした。でも、私の心も信仰も生ぬるくなってしまったのかも知れません。97年から書いていたHPの日記は10年分ウェブからは削除してしまいましたが、ローカルで久しぶりに見てみました。人生の中で何年かに一度は大きな試練があり、又大きな決断をしなければならないことが起こったりしています。過去に辛かった頃の日記が自分自身を励ましたりしますから不思議です。

5/28/2000 の日記「最善の解決法」

(前半省略)

クリスチャンの中にも、自分自身の問題を自分で解決しようとして、どんどん苦しい状況に陥ってしまっている人がいます。結果はどんどん悪くなるばかりです。自分の問題に神様を介入させないのは、我が強い為に、自分の思い通りに事が運んで欲しいが為に、神様に問題を委ねられないからなのです。そう、神様にお願いしたら、自分の願いとは反対の結果になるかも知れないと思うので、明け渡せないのです。私もかつてはそういう時もありました。でも、感謝なことに、自分の手には負えない大きな問題を抱えていたことがあり、問題の全てを全能の御手に委ねる他に良い方法はないことを学んだのです。小さな問題だけしかなかったら、自分で解決しようとしたかも知れないですから、問題が大きいほど感謝だなと今は思えるのです。


神様に100%委ねるということは、神様を心から愛し、信頼しているという信仰を実践するということに他なりません。自分で何とかしようと思っているうちは、心がざわざわして不安で一杯だったのに、神様に問題を明け渡すと神様の御支配の中に置かれるので、たとえ周りの状況に変化がなかったとしても、私達は自由になり、不安は消え、楽になり、心に喜びが涌いてくるのです。もし、不安や悩みで心がいっぱいのままだとしたら、私達はまだ神様を信頼して明け渡していないことになります。私が苦しみの中で学んだことは、問題解決の一番の近道は、問題をイエス様のところに持って行き、包み隠さずお話し、イエス様の御手に乗せて帰ることでした。帰るというのは、いったん預けても、心配して又持って帰る人もいるからです。(笑)


明け渡せないうちは、どれだけ祈ったところで、問題は解決しないのです。私達はただ、「しもべは聞きます。お話しください。」「ただ主の御旨だけが成りますように。」と、へりくだった者となりたいものです。私達を私達以上に良く御存知で、御自身の御血の代価と引き換えに、私達を永遠の滅びから永遠の命へと変えて下さった方は、何が私達にとって最善かを御存知です。その方以上に問題を解決出来る人が果たしているでしょうか。どうか、悩んでおられる方がいらしたら、不平不満を言うのを止め、その代わりに、全てのことに感謝してみて下さい。そして主を讃美して下さい。必ず何かが変わり始めます。


これを読んでおられる方は、私が偉そうなことを言っているように思われるかも知れませんが、全て自分の体験に基づいて語っていますので、確信を持ってお勧めしたいのです。