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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


少ないタラントでも

7日のクリスマスコンサートが大成功に終わってホッとしていましたが、これからが教会ではクリスマスの本番です。

今朝は会衆の皆さんと一緒に讃美する合同讃美だったので、聖歌隊は『きよらに星すむ今宵』もソロなしの普通バージョンで歌っていましたが、3番の最後の方で管弦楽団の指揮者をしているK兄が、練習の時とは違って、本番では指を上にあげて「高いバージョンで歌え」といきなり合図して来たので、咄嗟にY子ちゃんと私は「シ♭」を出して歌いました。

私はしみじみとY子ちゃんに、「5、6年前に自衛隊と一緒にクリスマスコンサートをやった時は、シ♭は一か八かだったし、プレッシャーで声も出なかったのに、今は全然違うよね・・」と言いました。彼女のお母さんとも、「あの頃は重圧と責任感で声が出なくなったものだけど、今はシ♭の心配ではなく、曲の(ソロの)前半が低いから、そこをどうやって歌うかばかり考えているのよね。」と話していました。

あがり症を完全に克服出来たのは自力ではなく、神様の大きなお恵みにほかなりません。又アリアを習っていることで音域も広がり、ハイソプラノのドの音が出てくるアリアも歌えます。プライベートの歌の発表会でも最初の頃は声が震えていました。今は、自分の声をどうやって響かせるかとか遠くまで飛ばせるかなどの方に気持ちがシフトしています。やはり、人前で歌う回数が増えたので場数を踏めたこともプラスになっていると思います。

今では、『きよらに・・』のソロバージョンは、Y子ちゃんでも私でもどっちでも行けますが、今年の教会のクリスマス親睦会では、先日のクリスマスコンサートと同じくN先生が歌うことになりました。プロのオペラ歌手は声量が全然違うので、曲が一段と華やいだ感じになります。N先生のソプラノは本当に素晴らしいです。先生の声質はレッジェーロなので、リリコの私の声よりはずっと軽やかなソプラノです。

私が礼拝の独唱でプロの先生方に混じってローテーションで歌うようになったきっかけは、3年前のクリスマス親睦会の2日前の電話でした。3人の先生方が風邪で歌えないからと、何故か私に指名がかかったのです。教会が始まって以来、何十年も独唱はプロの先生方が歌って来られたので、素人の私が歌うというのはチャレンジングなことでした。何よりも、中途半端に歌って、「何でheidiさん素人なのに・・」と言われたらどうしようとドキドキしていました。

独唱をするなどとは夢にも思っていなかったのですが、ずっと地道に声楽のプライベートレッスンを続けて来て本当に良かったと思いました。突然だったらとても大役を果たすことは出来なかったと思います。その次に声がかかったのは1年数ヵ月後でした。その後から独唱のローテーションに組まれるようになりました。とても畏れ多いことなのですが、私にとっては毎回勉強させて頂いているような気持ちです。

聖歌隊に入ったきっかけも独唱も、自分から行動を起こしたわけではなく、神様に呼ばれて・・・という感じです。高校が進学校だったので、音楽の授業がなく、中学卒業から聖歌隊に入る迄の11年間は全く歌とは無縁でした。人前で歌うのは、小2の時音楽会で『ゆりかごの歌』をソロで歌って以来でした。自分でも歌を忘れていたような状態だったのに、神様が私を見出して下さり訓練の機会を与えて下さって、今では300人の前で歌っているのは本当に不思議です。

10数年前に、タラントを用いることについてのメッセージを聞いた時、私のタラントは何だろうと考え祈りました。その時の答えが、聖歌隊で歌っていることがタラントなのだということでした。私はそれ以来、少しでも神様のお役に立てるように、「私の讃美のタラントを増し加えて下さい。」という祈りを続けています。1タラントを土に埋めてしまったような不忠実な僕には決してなりたくはありません。少ないタラントでも、自分の持ち場で用いさせていただいていると、神様は惜しみなくタラントを増し加えて下さるのです。

一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。(マタイ25:24-29)