HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


タラントの気づき

一昨日から昨日にかけてタラント(賜物)について引き続き語りかけが続いていました。

まだ自分のタラントが何かわからなかった時、先日の日記にも書きましたが、お祈りしていたら神様から聖歌隊で歌うことが私のタラントを用いることだと導かれました。

当時の聖歌隊の先輩から、私がだんだん高い声が出るようになったのを「お恵みよね、感謝ね〜。」と言われたり、又、ある日曜日に、偏頭痛で体調が最悪になってしまった時、ある姉妹が力強く「姉妹(私)は讃美の器ですから、サタンの妨害を受けて・・・・」と祈って下さいました。

又、99年にクリスチャンのネットフレンドと1年がかりのプロジェクトで讃美CDを作ったことがあります。そのCDを或る姉妹に差し上げた時に、実は私が歌でもっと用いられるようにと、彼女が長年祈っていたことを初めて知り、私自身は全く考えていなかったことでもあり、彼女のお祈りが現実となって聞かれたことを驚き又喜びました。

そのようなことがあり、神様は姉妹方を通して私が与えられたタラントは讃美なのだとだんだん理解するようになり、それであるならば、神様にタラントを増し加えて頂いて、もっと神様のお役に立てるようにして頂こうと思ったのです。

プライベートのレッスンを始めたのも、オペラのアリアを歌う為ではなく、目的はもっと素晴らしい讃美をおささげしたいという気持ちと使命感からです。声楽のレッスン代は月にしたらすごい出費なのですが、主の為にお使いするのだから献金と一緒だと思うようになりました。不思議と赤字になることはありません。感謝です。

特に聖歌隊とかワーシップリードなどは、他の奉仕よりも目だつので華やかに思われがちです。自分が注目されたいとか、ミーハー的な気持ちで讃美の奉仕に加わりたいと思う人がいますが、恐らく表面的なものしか見ていないのだと思います。その動機は正しくありませんし、実際見えない所で苦しい練習を積み重ねているのです。

タラントは自分を喜ばせたり自分の利益の為の手段ではありません。あくまで神様にお仕えし、神様の御栄光が現れる為なのです。

続く・・・・

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。(第一ペテロ4:10