HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


増し加えられた信仰

昨日の日記の上司には二年七ヶ月秘書として仕えました。最初の一年ちょっとは、何に対しても「はい」と答え、決して「いいえ」とは言えませんでした。毎日駄目な秘書だと言われ、私は自信を喪失し精神的にボロボロになりました。神様には、「出来ることなら会社を辞めさせて下さい。御心でないならば、耐えられるように助けて下さい。」と祈りました。

がんじがらめの毎日で、上司に呼ばれるだけで緊張し震えるようになった時、私は病気になるよりはマシと、とうとう本音をぶつけました。私の大事な人生をこんな爺さん一人に振り回されるなんて嫌だと我慢が出来なくなったのです。私の前任者が二ヶ月でクビになったので、私もそうなることは覚悟でした。でもクビにはなりませんでした。

今も支えとなっている『私を強くしてくださる方によって、私は何ごとでもすることが出来る』という御言葉を握りしめ、自分の口から発する言葉は意識的に前向きな言葉しか使わないようにしました。それから半年位かかりましたが、私は健全な自信を取り戻し、本来の私に戻りました。この体験を通して、御言葉は真実で力があり、日常の生活の中で生きて働くということが実感としてわかりました。

上司は、私が体調が悪く会社を休みたいと連絡をすると、その時は「ゆっくり休みなさい。」と言ってくれますが、出社すると、「あんたは肝心な時はいつもいない。」と嫌味を言う人でした。ある時、病気をしたことがない彼が、網膜剥離か何かになってレーザー治療を受けるようになりました。私も心配して、陰で癒しの祈りをしていました。目の方は大事に至らずホッとしました。

その頃には、上司が毒舌を吐かなくなったので、かえって心配したくらいでした。(笑)。小さな外資のレップオフィスで、彼の定年退職後はナンバーツーの外人がプロモートされることになった為、秘書の私は上司と一緒に退職となりました。外資のトップに付く秘書にはよくあることですが・・。あの時自分の我で辞めず、神様の「時」を待ったのが良かったと思います。会社都合で辞められたので、失業保険がすぐに出たことは感謝なことでした。
この証は何回も日記に書いたかも知れません。当時は辛かったのですが、このことがなかったら私の信仰はぐらついたままだったと思います。今となっては宝物のような体験なのです。神様こそ完全に信頼することが出来、私にとっての最高最善を導いて下さる方だとはっきりわかったのですから。

わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(ピリピ4:13)
I can do everything through him who gives me strength.(NIV)