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Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


歌への導き(3)

S姉妹と私は、I先生の御指導の元順調に『バイエル』を終え、『ブルグミュラー』に進みました。でも、先生の何回かのお産や子育てなどで間が開き、ピアノの練習曲もだんだん難しくなったこともあり、いつの間にかレッスンを受けなくなってしまいました。その後何年かブランクがありましたが、再び先生にお世話になることになったのです。

98年10月に聖歌隊20周年コンサートが開催されることになりました。牧師先生の息子さんでプロの指揮者のM先生が、モーツァルトの『戴冠ミサ曲』を指揮して下さることになりました。当初はソロの部分も聖歌隊だけで、私がソプラノのソロを歌う話になっていました。

1300人も入るホールで、私の下手な歌の為に大事な記念コンサートを台なしには出来ないと、焦った私は慌ててI先生のところに行き、本格的に声楽の勉強を始めることになりました。教会にはオペラ歌手の先生方がいて、四つのパートのソロは揃います。結局は話だけでソロを練習することもなく、プロの先生方が歌うことになり、コンサートは大成功でした。

その前の年に、神様から証を書くように導かれ、3月にホームページを開設しました。ネットを通じでクリスチャンの兄弟姉妹と知り合い、音楽好きな仲間が集まってオリジナル讃美のCDを作ろうと言う話が出て、祈りつつこのプロジェクトを進め99年9月にCDがリリースされました。私がソロで歌ったのは一曲で、ホームページでも紹介していますが、まだ声楽を始めたばかりなのとあがり症だった為、私の中では満足な出来ではありませんでした。

98年〜99年の間、約一年半失業をしていましたが、コンサートや讃美CD制作が辛い時期の支えとなっていました。次第に私の中では、歌が欠かせないものとなっていました。CDが出来た時、元聖歌隊員のF姉妹から、私が歌で用いられるようにずっと祈って来たことを初めて聞き、陰の祈りがあってこそ、支えられ導かれてきたことを思い感謝感激しました。

2003年のクリスマス感謝礼拝の二日前、教会から私の携帯に電話があり、礼拝で歌って欲しいと言われました。独唱はプロの先生方が三人で週替わりで歌っていました。教会が始まって以来何十年もプロの先生しか歌っていないのに、素人の私では申し訳ないと思いました。でも、全員風邪で歌う人がいないとのこと。私はこうして、ピンチヒッターで独唱をすることになりました。

再び呼ばれたのは、翌々年2005年3月の時でした。そのあたりから、プロの先生方に加わって、独唱のローテーションに組まれるようになりました。あがり症は神様のお導きで『神様の支配下にいる』ことを意識し、『会場を聖霊で覆って下さい』と言うお祈りによって完全に克服させて頂きました。自力ではとても無理なことでした。又、昨年のクリスマスコンサートでは、その1300人収容の大ホールで、聖歌隊の中でソプラノのソロの部分を歌わせていただきました。あんなにあがり症で、ハレルヤコーラスを楽譜で顔を隠しながら歌っていた私でも、このように変えられるのは神様の御わざ以外の何ものでもありません

長い期間に渡るお話の為、(1)〜(3)に分けて書きましたが、読んで頂き感謝です。主は小さなタラントでも用いて下さり、私の「讃美のタラントを増し加えて下さい」という祈りに、答続けて下さっています。このような者をも用いて下さり、主の御栄光を現してくださいますから、ハレルヤ感謝です。ただ主の御名のみがほめ讃えられますように。