HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


聖別

私が教会のある町に引越しする前学生時代を過ごした所には、私が救われる前から親しくしていた友達が二人いました。彼女達は別の宗教を持っていたので、私がクリスチャンになったのはショックだったようでした。でも、私が彼女達の宗教に興味が持てなかったのは、三人でいる時は仲が良いのに、私と二人だといない人の悪口を言っていたり、とても幸せとは言えない生活をしていたからです。引越しが決まり、彼女達が住んでいるアパートを何度も訪ねましたが、不思議なことに何度訪ねても会うことが出来ませんでした。(アパートに電話が付いていませんでした。)そして、引越しの前日、一人に銭湯でバッタリ会いましたが、新しい住所も連絡先も告げず、それっきりになりました。

私は自分が無理して二人と縁を切ったわけではないですが、当時は赤ちゃん信者で何もわからなかったので、神様の方が私をその人達から遠ざけて聖別をさせたのだと思います。他の友達とも離れることになりました。今思えば、その町自体がその宗教を信じている人達が多い町でしたし、霊感の強かった又別の友達はいつも変なものを見ていました。私は住む所も友達も聖別する形で引っ越して来たのです。あれから随分時が経ちました。

私の亡くなった先代の牧師先生の口癖は「断・捨・離」でした。クリスチャンとして聖別された生活をすることの大切さを教えられました。とても愛の深い人でしたが、私達の魂のことを思い、とても厳しい先生でもありました。あれから20年近くになろうとしています。信仰生活も長くなり、極端な「断・捨・離」をしなくても悪影響は受けないと思っていました。しかし、『朱に交われば赤くなる』という諺もあるように、自分は大丈夫と気を付けていても、何かしら影響は受けるものだと気がつきました。

今年ほど人間の醜さと弱さに振り回された年はありません。神様はドラスティックな方法で、今年後半或る(ネットを含む)親しい人達から離れるよう導かれました。人間的に考えると本当に悲しく、失望落胆で一杯になりました。しかし、それらのことを通して、神様の目に正しいこと、そして私にとって本当に大切なものは何なのか(誰なのか)改めて確認することが出来たように思います。私は主に信頼します。神様は私達の益の為に、あらゆるものを聖別される方です。

あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。(イザヤ30:15)