HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


I need Thee every hour

今日はこれからクリスマスコンサートのゲネプロです。当初は午後2時か3時の集合だった為、これは有休を取らないとと一日休みを取ってしまいました。ところが集合は5時半だって・・。これだったら、午前半休でも良かったなぁと思いつつ、昨夜は22時近くまで残業してしまいました。普段仕事では取引先の派遣会社にひっきりなしに電話を掛けたり受けたりしている為、結構喉に負担がかかります。声楽の発声練習を20分以上やっていると、発声のポジションが上の方に上がっているので、喉に負担がかからない話し方が出来ますが、普段は下に落ちているので、仕事の電話ではかなり喉が消耗してカラカラになってしまうのです。

先ほど声楽の先生のレッスンを受けて来ました。聖歌に多い中間音は訓練によってだいぶ安定して来ましたが、オペラのアリアなどのかなり高音の部分はまだまだ一定しておらず、その音自体は出るのですが、息にゆとりがないというかなかなか思うようにはいきません。それでも、一年前よりは進歩しています。楽器である身体を作り上げて行く作業は、時間もかかる地道な作業です。聖歌隊が歌う讃美は、技術そのものよりも歌詞の内容を深く理解することや、何よりも私達の心がどこを向いているかが大事です。どんなに優れた合唱団でも、神様の本当の愛がわからないと、聖歌隊のようには歌うことは出来ません。聖歌隊がいつも本番に強いのは、御霊の一致があるからだと思います。

昨日の朝はいつもより一時間早く目覚ましをセットしていましたが、目覚ましの直前まで夢を見ていたようでした。見ていたというより、夢の中で歌っていた形跡が・・。確か「ともにまさば やすけし・・」と歌っていました。この歌は、私が6月に礼拝で独唱した時の歌「聖歌487番 めぐみある主」だったのです。5番まであるし、歌詞は暗譜していないのでうろ覚えです。でも、本当に人間の記憶というのは不思議で、完全に忘れているようなことでも、夢の中では自由自在に出てくる感じです。記憶の引き出しがいくつもあるかのようです。私が夢の中で歌っていたのは、何故か「めぐみある主」の2番でした。

ともにまさば やすけし
いざのうもの さりゆかん
わがしとう主よ ああめぐみませ
いまながもとに ゆく身を

私は「わがしとう主よ」以下の英語の歌詞が好きです。

I need Thee, O I need Thee;
Every hour I need Thee;
O bless me now, my Savior,
I come to Thee.


わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネ15:5)

日々の生活の中で、特に仕事に関しては、自分の力ではどうすることも出来ない場面に出くわすことが多いです。そんな時自力で何とかしようとすると、ますますどうにもならなくなります。主は私達を放って置かれる方ではありません。主は呼べば答えて下さる主です。遥か彼方の遠い存在ではありません。主に寄り頼むことが最善の方法ではないでしょうか。