先日のゲネプロでは、本当に私自身の力不足に落胆しました。声楽の先生にレッスンを受けて数時間しか経っていないのに、なかなか思うように声が出ず、前に出て来ないのです。1300人近く入るホールで、私のソロの生声はちゃんと届くのだろうかとがっくり来てしまいました。教会の会堂で300人の前で歌うのとはちょっと勝手が違います。私が歌う曲は、前半はソプラノには低い音域で、後半はものすごく高くはないのですが、普段の合唱では歌わない高音が出て来ます。一昨年までは、教会のプロの先生が歌い、昨年は音大生のYちゃんが歌いました。今年はローテーションで?私が歌うことになったのです。教会の独唱にもそこそこ慣れてきて、少しずつでも進歩して来ていると思っていましたが、久しぶりに落胆してしまいました。
各パートにはパートリーダーがいます。何年か前に、聖歌隊の先生からソプラノのパートリーダーを頼まれました。丁度仕事が死ぬほど忙しかったこともあり、プライベートでもこれ以上人と関わり世話係になるのはキャパシティを超えてしまうので、先生には「仕事で死ぬほど忙しいのです。その上に世話係も加わると、私は壊れてしまいます。歌に専念させて頂きたいです。」とお断りしました。正直、ちゃんと練習をしない人の為にテープを録音したり、楽譜を忘れた人達の為にコピーを取ったり、本来自分が責任を持ってやるべきことまで、世話を焼きたくはないと思いました。パートリーダーは大変な仕事です。
パートリーダーではありませんが、こういう自信のない状態でありながら、ソロ以外にも更にソプラノの人達を歌で引っ張って行かなければなりません。特にヘンデルの『メサイア』は難しい曲でもあるので、私自身完璧ではなく、人一倍練習しなければだめです。うっかりしていると、ソプラノが出るべき時に、全員が出そびれるなどということが起きかねません。(^_^;;ある聖歌隊員から、自信がないとか不安だとか言われましたが、「不安になっている暇があったら練習してね。」と言うしかありませんでした。(^_^;;
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。(創世記22:13-14)And Abraham lifted up his eyes, and looked, and behold behind him a ram caught in a thicket by his horns: and Abraham went and took the ram, and offered him up for a burnt offering in the stead of his son. And Abraham called the name of that place Jehovahjireh: as it is said to this day, In the mount of the LORD it shall be seen.(KJV)
信仰の父と言われたアブラハムは、神様に非常に忠実な人で、やっと授かった一人息子イサクを燔祭として捧げました。こんなことは普通考えられないことですが、神様の約束を信じ、完全に神様に信頼していたからこそ出来ることでしょう。神様は、試練を通して私達を訓練することはありますが、私達を苦しめることが目的ではありません。神様は、アブラハムの信仰を見て良しとされ、雄羊をいけにえとして備えておられました。
英語の「Jehovahjireh」は「アドナイ(ジェホバ)イルエ」で、「イルエ」は「主は先を見ておられる」と言う意味だそうです。私達は与えられた仕事や機会が能力以上のことだったりすると、戸惑ったり自信がないと落胆したりしますが、全ては主のお許しがあって起こって来ることです。主は私たちの全てを御存知です。何かを達成する為に、主は全てを備えて下さる方です。自分の出来る限りの努力は必要ですが、自力で頑張ろうとすると辛くなりますし限界があります。でも、主に全てを明け渡して委ねた時、後は神様の範囲で全てを益に働かせて下さいます。コンサートの重荷は主にお委ねしました。ハレルヤ感謝です。