HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


忘恩の罪

私の先代の亡くなった明治生まれの牧師先生は、イエス様といつもホットラインで電話が繋がっているような先生でした。何よりも誰よりもイエス様を愛しておられ、人数の多い教会でも私達一人ひとりとの結びつきはとても強いものがありました。厳しくとも愛の深い、又茶目っ気のある先生でした。先生は牧師になるべくして生まれたような先生でした。非常にシンプルでストレートな信仰は私たちのお手本でもあり、私も含めた古い信者である兄弟姉妹は、そんな先生が大好きでした。

先生が講壇から私達に向かって良く言っておられたことは、「忘恩の罪」についてでした。「犬だって3日飼えば飼い主に対する恩を忘れないのに、神様に対する恩を忘れてしまうあなたたちは、まったく犬以下ですね。」などとおっしゃっていました。(笑)乱暴なようですが、これは、魂を愛するが故の発言だと思います。私の教会のような単立のペンテコステ派だから良いものの、おそらく福音派の教団だったら信者にクビにされてしまうかもしれません・・。(^_^;;

長い信仰生活の中には本当に色々なことがあります。特にネットに出てHPで証を書くようになってから、色々なサタンの攻撃を受けて来ました。サタンは救われたクリスチャンを何とか地獄へ引きずり降ろそうと狙っていますから、あの手この手と巧みな方法で邪魔して来ます。特に親しい人達を通しての攻撃は本当に傷つきます。その人達の為に、涙を流して祈り自分の出来る限りの精一杯を尽くして来たのに、後足で砂をかけるようなことをされることが何度かありました。

私は恩着せがましいことは言いません。あまりにも突拍子もないことだったりすると、人は憤慨や怒りとかの感情は通り越してしまい、ただ悲しみと落胆しか感じないものです。そして、私は性格的に、騒いで反論や弁解することもなく、黙って静かに去って行くだけです。私はそんな時、いつもイエス様のことを思います。10人の癒されたらい病人のうち、イエス様に感謝をしたのは、異邦人であったサマリヤ人たった1人でした。イエス様はお与えになるだけですが、人は求めるだけで感謝すらしません。イエス様はどれだけ傷つかれたことでしょう。

私はイエス様を悲しませたくありません。イエス様が私にして下さったお恵みを決して忘れることがないように、声を大にして証をして行きたいと思っています。


「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ。(イザヤ51:1)


わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2-新改訳)