HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


試練

今日は群馬のT教会の日曜礼拝に行かれている牧師先生の代わりに、副牧師先生からのお話がありました。週報から一部を抜粋させていただきます。


「クリスチャンの人生は何か魅力溢れるものであって苦労も試練もなく、艱難も苦しみもない。霊的なクリスチャンになって神に完全にゆだねて献身した生活をしていれば、神は私を困難や失望から逃れさせてくださるはずだ。私は神の子どもであり、神によって油を注がれた者だから問題もトラブルもないはずだ。」と考えている人がいます。



わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。(伝道の書9:11-12)


私たちの誰もが、さまざまな問題や悲しみ、苦しみ、悩みに直面するという事実です。あなたの人生で何らかの問題にあった場合、それはあなたを強い人にするか、だめにしてしまうかどちらかです。壊すことも作ることもできるのです。どういう結果になるかはその問題にどう対処するかによって、どういう態度をとるかによって決まってきます、さまざまな問題は私たちの役に立つこともあれば、私たちを切りつけるナイフのようになることもあります。


私たちがナイフの刃をつかむか、ナイフの柄をつかむかで、傷を受けるか役に立つかが決まるのです。間違った仕方で問題を捕えると、ナイフの刃をつかむのと同じ結果になります。あなたの生活に問題が起こったとき、あなたがその刃をつかむことであったことかも知れません。それはあなたを傷つけ、あなたはその問題が自分を支配してしまったとわかったはずです。あなたが問題の柄の部分を握るとき、あなたはそれを自分の益となるように用いることが出来ます。


刀作り職人が刀を作るように、鉄を真っ赤に焼いて、それをたたいて刀の形にし、水につけ、刃金にし、研いで、刀を作り上げていきます。私たちは刀の柄の部分を握っていると、神がたたき、水につけ立派な刀に作り上げていきます。試練や問題は私たちを打ち負かすためにあるのではないということを確信しなければなりません。私たちは肯定的な姿勢で試練や問題を捕えることが大事です。



わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。(ヤコブ1:2-4)


それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(ローマ5:3-5)


私の心の欠けたところを治す道具とみなし、石地の心を良い心にする為のものとみなしさえすれば解決されます。


試練や問題は人生で避けることが出来ない事実であり、全能の神が何らかの目的の為にそこに置かれたのです。神の目的は私たちが神に似るものとなることです。私たちが弱くなって敗北するために私たちを創造したのではありません。神は私たちを神のかたちにかたどって創られたのです。もし試練や問題が生じなければ私たちを強くすることは出来ないのです。


ですから、私たちは全てのことに感謝すべきなのです。神の許しなしには何事も起こりません。髪の毛一すじさえも地に落ちません。試練や問題が起こったということは神が見て、私たちがそれを引き受けることが出来るとみなしてくださったことなのです。もし神が私たちの人生にこのような試練や問題を起こすのをお許しになったことをわからせて下さるなら心から感謝するでしょう。



「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。(ヘブル12:5-6)


すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。(ヘブル12:11)


試練や問題に見舞われるとき、私たちは思い煩ったり、欲求不満になったり心を動揺させたりしがちです。



主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ30:15)


静かになって落ち着かなければ試練や問題に上手に対処出来ません。



あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。(マタイ6:6)
とイエス様は言っておられます。試練や問題にあった時、一人きりでドアを閉めて御霊によって祈って神の臨在の中に入っていき、ゆだねてあなたの偉大な創造者、私はあると言われる、太陽、地球を創造された完全な知恵であられるお方に耳を傾けて下さい。



「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。(詩篇46:10)


神の臨在で憩う時、神の強い御力によって清めてくださり、健全にしてくださり、癒しをもたらしてくださり、あなたの弱いところを全て補強して下さるのです。あなたはそうしていく時、『私を強くして下さる方によって何事もすることが出来る』のです。あなたは自分の人生に生じるどんな事にも打ち負かされず敗北しなくなります。