HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


ベストフレンド

先日の日記で、幼なじみのK子は我侭で好き勝手な性格だと書きましたが、そんな彼女であっても、以前自分の子供の為ならば自分の命をかけて、盾になって守ると言っていたことがあります。私は結婚したこともないですし、母親の気持がどんなだとか分かりえないのですが、K子のその言葉に母親の深い愛と強さを感じ、又普段の彼女とあまりにも違う母親の顔を垣間見て、大きな衝撃を受けました。実際に自分の命を人の為に捨てるのは難しいと思うのですが、母親にとっての子供はそういう存在なのだなぁと思いました。K子とは『お互いの性格を良く分かっているので、ありのままを受け止めあえる』関係だと日記に書きましたが、クリスチャンにとっては、友達や肉親以上の大きな存在があります。それは、私達の罪の為に命を捨てて下さったイエス様です。イエス様は御自分が罪を犯したわけではないのにもかかわらず、私達の罪の為に、罵られ鞭打たれ十字架の苦しみを受け、私達の身代わりとなって死んでよみがえって下さいました。私はそのことだけでも、イエス様を心から信頼し愛することが出来ます。


主は今も生きておられ、私達の日々の些細なことにまで御関心を持っておられ、御介入して下さり、どんな最悪と思われるようなことでも、私達が主に信頼し感謝する時、全てを最善に変えることが出来るお方なのです。私はホームページで証を書き続けているのは、イエス様がどれだけ素晴らしい方なのかを伝えたいという一心からです。世の中の人にとっての神様(gods)は、自分が困った時にだけ頼みにする存在です。しかし、その神様は偶像なので、『銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。(詩篇115:4-7)』存在でしかありません。しかし、私達の神様(God)は全知全能で、天地を創造され、私達をつくられた神様です。神様は私達を実子として下さいました。困った時の神頼みの関係ではなく、良い時も悪い時もいつも共にいて下さる魂の父親なのです。


しかし、クリスチャンの中にも、困った時にだけ神様に必死ですがり、喉元をすぎれば又神様をないがしろにして教会から遠ざかる人達もいます。そういう人達は、又困ると教会に来ますが、問題がなくなると又平気で離れるのです。神様はどれだけ悲しんでおられることでしょう。御自分の命を捨ててまで私を愛して下さる方、いわば命の恩人である方をそっちのけにするなど、私にはとても考えられません。日曜日は教会に行き、神様のことだけを考えて過ごしたい、神様に感謝と讃美を捧げないではいられない私です。クリスチャンになって何十年にもなりますが、神様をお慕いする気持は年々高まっているほどです。聖歌519番の『世には良き友も』にありますが、イエス様は罪びとの頭である私達さえも友と呼んで下さり、世の中の友がひえてあたたかい言葉が消えて行ったとしても、主は私達を見捨てることはなく、いつも変わらない御愛を持って私達をささえ愛し平安を与えて下さるのです。この方に希望を置くとき、私達は絶対に失望することはありません。