HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


あけましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。😁✨元旦は良くガリラヤ湖の日の出の写真をアップしていましたが、芸がないので別の写真にしました。😄

これは、イスラエルのユダの荒野です。新旧約両聖書に色々なエピソードで登場しています。私が一番印象に残っているのは、ここはイエス様が断食をされ、またサタンの誘惑に遭った場所だと言うことです。(マタイ4:1~4、マルコ1:12~13、ルカ4:1)


さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

(マタイ4:1~4) 

今年も例年通り、変化を進歩と捉えて、イエス様に希望を置き、楽しい信仰生活を送りたいと思っています。ここを訪れて下さる方々にとって、今年一年が神様の祝福で溢れる素晴らしい一年となりますように日々お祈りさせていただきます。😁

本年もどうぞよろしくお願いします。お気軽にコメントをしていただけると嬉しいです。😁✨

 

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今年は激動の年だったけど、、、。

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↑長年行方不明だった洗礼式の写真が出て来たことが、今年一番嬉しかった出来事でした。😄

 

新年礼拝で御言葉のお年玉(下記)を頂いた時に、大変な年になるかも知れないと思いました。というか、その前の年から予兆はありましたが、、。毎年お年玉は、不思議とその年の指針となる神様からの特別なメッセージとなっています。

エスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。(マタイ22:37)

この御言葉は、イエス様が仰った一番大切ないましめです。今年何かあるかも知れないけれど、何があってもこの御言葉を握りしめて行こうと心に決めました。1月から今に至るまで本当に色々あった激動の一年となりました。

話はそれますが、オーケストラ指揮者のM先生は、私達聖歌隊に対する要求のレベルを年々上げています。^^;それは期待値でもあります。聖歌隊は神様の助けが大きいのですが、要求はクリアし成長し続けているからです。

私は大きな試練に遭っても、その先にある素晴らしい結果に目を向けていました。神様は私を愛し実子として扱って下さる故に、私がより成長する為に敢えて厳しい所を通されると。自分の境遇が辛くて本当に久しぶりに泣いたりしていましたが^^;、神様から期待されているからだと前向きに捉えていました。

信仰を試されていると感じたのは、7月中旬に今の職場(肉的には最悪の仕事と環境)に送られた時からです。一昨日久々に来たI君にその話をしたら、「えぇ~!!heidiさんがですか?!」とかなり驚かれました。それは私が「神様、何故私がここに?!」と衝撃を受けたのと近いです。^^;

泣きながら祈りやっと与えられた仕事だったので、何故?という気持は微かにあっても、感謝しかありませんでした。今では、送られた意味がひしひしと伝わって来ています。今年色々あったからこそ、神様との距離が縮まり絆が強くなったと感じています。

6月頭に牧師先生に「あなたは自分で色々考えてやりすぎるので(神様に全部)お任せしなさい。」と言われてから、万策尽きて疲れすぎていた私は、その通り人生の舵取りを、車で言えば運転席にイエス様 に座って頂くことにしました。

長年経済的に恵まれていた時と初めて経済的に厳しい今を比較しても、平安で幸せな気持ちに変わりがないことに気が付きました。仕事がなかった時だけは惨めな気持になりましたが^^;、主が共にいて下さったので何とか持ちこたえて来れました。

今年は下積み、修業のようでもあり、多様性を知り理解する為の社会勉強のようでもありました。新しいステージに上がって行くためには、通らなければいけない道なのです。暗いトンネルはもうすぐ出口に近づいています。終わらない冬はありません。

 

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昨日は献児式~話題になっているローマ教皇のインスタグラム

www.instagram.com

 これはネットで話題になっている、フランシス教皇のインスタグラムの投稿です。「Let's let Mom rest(ママを休ませて) 」というタイトル。イタリア語は「Lasciamo riposare mamma」←これくらいなら私でも分かる。😁

昨日の礼拝は証し会と献児式がありました。私は何十年も最前列の席から、色々なタイプの両親と赤ちゃんを見て来ました。😁だいぶ昔は、記念撮影や待ち時間はお母さんが赤ちゃんを抱っこしていましたが、最近はお父さんが多いような気がします。😁

献児式に牧師先生は、「赤ちゃんは神様の所から20歳まで預かっている大切なお客様なので、自分たちの考えではなく、お祈りして神様に聞いて育てましょう。」のようなお話をされます。うちの教会は、男性が割と育児に参加しているように思います。😁

私がウィーンに行くと、いつも日曜日はシュテファン寺院のミサに行きます。イースターの時期に子供のミサに参加した時、私達が歌っているようなワーシップソングをドイツ語で歌っていたのを見て、カトリックのイメージが随分変わりました。😁

フランシス教皇の投稿には、今現在39万5千件以上「いいね!」が付いています。南米初の教皇SNSで積極的に情報を発信しておられるようですね。フォロワーは約645万人!バチカン付近の投稿が多いですが、一般人の写真もあり、普通感が人気の秘密なのかなと思いました。😁

記事のURLです。↓

https://www.asahi.com/articles/ASMDY468SMDYUHBI003.html

 

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苦手な人の為に祝福のお祈りを

自覚していることですが、私はプロセスを細やかに伝えたいが為に、話やブログが長くなりがちです。私の長いネットフレンドの田崎@お笑い牧師のようにシンプルで的を得たことが書けないかなぁと常々思っています。^^;

今年一番印象に残っているのは、下記4月23日のブログです。リンクを貼り付けたら、クリックしなくても読めることがわかりました。(笑)当時この一行を読んで、思わずクスッと笑ってしまいました。アーメン!だからです。^^

bible.muragon.com

神様は神様を信じるクリスチャンだけを愛しておられるのでしょうか。いえ、そんなことはないと思います。『この世を愛して下さった』とは、この世の全ての人達を指していると思うからです。  

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネ3:16) 

『敵を愛し、迫害する者のために祈れ。』とイエス様は仰いました。敵までとは言わないまでも、苦手な人や面倒な人がいても、つぶやかないでその人達の為に祝福のお祈りをすると良いですよね。神様は時として、私達の成長の為にあえて面倒くさい人をそばに置かれることもあります。

神様は私達の祈りを必ず聞いて下さいます。でも、もっと注目すべきことは、下記後半の御言葉です。自分がゆるさないと、神様も私達をゆるしてくださらないと。感情でゆるすのは難しいかも知れませんが、「ゆるしますから、わたしをゆるしてください。」と祈るうちに、いつの間にかあれっ?と気が付く日が来ます。感情は後からついて来ます。

ゆるさないと、相手も自分をも牢獄の中に閉じ込められたような不自由な状態になります。ゆるすと解放されて自由になります。そして、祈る時には大胆に神様に求めて祈ることが出来るようになります。これは本当です。何故なら、私自身経験しているからです。^^;

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
(もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう)」。

(マルコ11:24-26)

 

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メリークリスマス!~受胎告知教会の写真

メリークリスマス!😄

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

(ルカ2:11)

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネ3:16)

 今日はイヴなので会社を休んで、夜のキャロリングなどに備えてゆっくり過ごしています。9年前に行ったイスラエル旅行の写真の中から、ナザレにある受胎告知教会の写真を再掲します。😄

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教会の下の方に位置しているgrottoです。ほら穴?辞書を引いたら、(祈祷用に作った)岩屋となっていました。マリアが受胎告知を受けた場所と言われています。

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二階には世界各国から贈られた母子像などの絵画が飾られていますが、これは、長谷川ルカ(路可)画伯の「華の聖母子」というモザイク画です。

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教会の外(裏側)に出た所で写真を撮りました。

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クリスマス関連のお知らせ~『キリスト教とは何か』中川先生のメッセージ

https://www.instagram.com/p/B6IimFeA1HX/

聖イエス教会⛪️のクリスマスイヴ、22日(日)クリスマス礼拝🎄他のお知らせです。#和光市 #聖イエス教会#クリスマス #イルミネーション

インスタグラムだと、どうしても写真の上下が切れてしまい見ずらいのですが、、。今年は土曜日の「子どものクリスマスお祝い会」と日曜日の「クリスマス感謝礼拝」に友達が来れるみたいで嬉しいです。^^

子どもの方は、大学のクラスメートの男の子が、急なお誘いになってしまったこともあり、スケジュールを調整中です。^^;彼はLINEで、キリスト教とはイエス・キリストとは?とざっくり聞いてきました。

電車の中で一言では答えられず、取り急ぎ中川先生のハーベストタイムミニストリーズの動画を幾つか貼って送りました。下のYouTubeは音声だけです。久しぶりに先生のメッセージを聴いて懐かしくなりました。 


『キリスト教とは何か』

中川先生は教会という形ではなく、「東京定例会」を毎週日曜日と月曜日に開いておられます。私も余裕が出来たらまた恵比寿まで足を運びたいと思っています。

harvesttime.tv

  

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友と呼んで下さる主~SieではなくDuで呼び合う関係

私のウェブサイトに「方言による主の祈り」というコーナーがあります。しばらくアップデートしていないのですが、茨城弁の所は私がK子に確認して書いたものです。私は上京後に完全に東京弁?に変えたので、今は茨城弁は話せません。^^;

www2.gol.com

茨城弁で「あなた」と言う丁寧な言葉はなく、「おめ」しか思い浮かびません。多分、「おまえ」が変形した言葉だと思います。関西系の人に「あんた」と言われると、関東人の私などは乱暴で失礼だなと感じますが、神様を「おめ」という茨城弁って。。。^^;

そこでドイツ語の「Du」を思い出しました。ドイツ語で「Sie」は2人称の敬称ですが、「Du」は子供や、家族や友達など親しい人に対して使います。私が以前習った学校と音大では「Sie」を使うようになっていました。

会話学校当時の親しかった先生達とは学校外では「Du」で呼び合っていました。動詞の切換えが難しかったのを覚えています。^^;又、「duzen」は「duで呼ぶ」と言う動詞で、「Wollen wir uns duzen?(duで呼び合いませんか)」などと言います。

私達は日本語でお祈りをする時、丁寧な2人称では「あなた(様)」などとあらたまってしまうかも知れませんが、ドイツ語では、神様に対しては「Sie」ではなく親しい関係の「Du」です。これを知った時はとても驚き感動したものです。

日本語での関係よりももっと神様との関係が近いような気がしました。神様と私達は「Du」で呼び合う親しい関係なのです。フォーマルでかしこまった堅苦しい関係ではありません。私がドイツ語でお祈りすることが出来れば、duzenの関係になれます。

主が罪人の私達を親しく「友」と呼んで下さるなんて畏れ多いことですね。^^;しかも神様は、私達の日常の些細なことにも関心を持っておられ、人生の全てに御介入することを望んでおられます。信頼して主に人生の舵取りをお任せ出来ることは幸いだと感じています。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

(ヨハネ15:12-16)

 

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