HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


苦手な人の為に祝福のお祈りを

自覚していることですが、私はプロセスを細やかに伝えたいが為に、話やブログが長くなりがちです。私の長いネットフレンドの田崎@お笑い牧師のようにシンプルで的を得たことが書けないかなぁと常々思っています。^^;

今年一番印象に残っているのは、下記4月23日のブログです。リンクを貼り付けたら、クリックしなくても読めることがわかりました。(笑)当時この一行を読んで、思わずクスッと笑ってしまいました。アーメン!だからです。^^

bible.muragon.com

神様は神様を信じるクリスチャンだけを愛しておられるのでしょうか。いえ、そんなことはないと思います。『この世を愛して下さった』とは、この世の全ての人達を指していると思うからです。  

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネ3:16) 

『敵を愛し、迫害する者のために祈れ。』とイエス様は仰いました。敵までとは言わないまでも、苦手な人や面倒な人がいても、つぶやかないでその人達の為に祝福のお祈りをすると良いですよね。神様は時として、私達の成長の為にあえて面倒くさい人をそばに置かれることもあります。

神様は私達の祈りを必ず聞いて下さいます。でも、もっと注目すべきことは、下記後半の御言葉です。自分がゆるさないと、神様も私達をゆるしてくださらないと。感情でゆるすのは難しいかも知れませんが、「ゆるしますから、わたしをゆるしてください。」と祈るうちに、いつの間にかあれっ?と気が付く日が来ます。感情は後からついて来ます。

ゆるさないと、相手も自分をも牢獄の中に閉じ込められたような不自由な状態になります。ゆるすと解放されて自由になります。そして、祈る時には大胆に神様に求めて祈ることが出来るようになります。これは本当です。何故なら、私自身経験しているからです。^^;

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
(もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう)」。

(マルコ11:24-26)

 

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