動画をお借りしました。
今日は聖歌580番『主はガリラヤ湖の』を独唱させて頂きました。正確には581番下のおりかえし「いずくまでもゆかん、いずくまでもゆかん、いずくまでもゆかん、あいする主のあとを」を付けて歌っています。例によりキーを1音上げました。(F Dur→G Dur)
先月に引き続き、歌の先生の所には行かずに自力で準備をしました。今日歌い終わって聖歌のメモを見たら、5年前の8月17日にも歌っていたことに気が付きました。夏だから涼しげな湖を想像して選曲しているわけではないですが(笑)1日違いに驚きました。
12年前に初めて歌った時は3ヶ月近くも練習が必要だったことに驚きました。今回は昨日ざっと歌い、今朝は発声も入れて40分で準備したからです。何とか自力で準備したといっても、やはりこれまでのI先生の御指導があったからこそだと思いました。
当時の日記が残っていて、歌にまつわる証が書かれていたので、下にコピペします。
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主はガリラヤ湖の
先月は体調が悪かったので独唱の出番はなかったのですが、一月から練習をしていた聖歌580番『主はガリラヤ湖の』を第二聖日に歌わせていただきました。意外と難しいので、充分に練習出来てかえって良かったかも知れません。
この歌には特別に思い入れがあります。信仰に入って2、3年経った頃初めての大きな試練にあいました。それは今でも、私の人生の中で最も大きな試練の一つです。(詳しい内容はホームページの証に書いてあります。)神様が何でこんなことを許されるのか、当時の私には理解出来ず、お祈りが神様への文句となり、毎日泣いて暮らしていました。
初めて教会に来て聖霊のバプテスマを受け、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』についての卒論を書く為に、まだ未信者だった私には、そのテーマである「罪」の意味がよくわかりませんでした。最初は卒論の為に教会に通っていました。
しかし、受霊二ヶ月後不思議な夢(世の終わりの夢。詳しくはホームページの証に。)を見たり、数々の奇跡的体験をし、神様の存在を否定することが出来なくなり、半年後には暗示的な夢の通り洗礼を受けていました。そういう導かれ方をされても、最初の試練によって信仰を捨てかけました。
お祈りをやめようと決心したものの、電車に乗る時も何する時も祈っていたので、習慣もあってつい口から出てしまい、途中で止めたりしました。私はその時、クリスチャンにとっての祈りは呼吸と一緒なのだと思いました。よくしゃっくりを止めるのに、息を全部吐き出しずっと息を止めたままにします。当然苦しくなります。祈りを止めることはそれと同じだと実感しました。
苦しい時期は何年か続きましたが、水曜日の夜の祈祷会と日曜礼拝にはしっかり繋がっていました。そうしているうちに、神様に対する不信感のようなものも苦しみも、時が経つにつれて弱まり薄れて来ました。嵐のような心がだんだん静まって来た時、神様の声が響いて来ました。「全てを捨てて私について来なさい。」と。
それから何年か後にも、心を掻き乱されるような辛い時期がありました。神様は右の道を行きなさいとおっしゃっているのがわかるのに、私は自分の我でどんどん左に行ってしまいました。当然ながら事態はますます悪化して行きました。今、当時神様をどれだけ悲しませたかを考えると心が痛みます。私はあの時から、もう神様の御心に反することや悲しませるようなことはしないようにしようと決心しました。
私は当時、自分が抱えている問題の辛さから自分を慰めるように、また神様の御心を思い切ない気持ちで、この『主はガリラヤ湖の』を毎日毎日歌っていました。今もなお、主は『我に従え』と語り続けておられます。昨日のメッセージとダブりますが、聞いて聞き従う人になりたいです。
1.主はガリラヤ湖の漁師に告げぬ、「網を捨て置きて我に従え」、
又主は疲れし世人に告げぬ、「罪を振り捨てて我に従え」
2.険しきみやまの谷間に呼べる、羊飼いの声友よ聞かずや、
「我が羊よ何故かくさ迷える、なが守り手なる我に従え」
3.「罪の世にありて罪に汚れず、憂いを慰め疲れを癒し、
なが傍にありて常にかたしむ、命の道なる我に従え」
4.「我が後を踏みて右や左に、迷いゆくなかれ道狭くとも、
十字架をにない天を望みて、常世の朝まで我に従え」
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