この御言葉は、ヨハネ13:7からの引用です。イエス様がペテロの足を洗っている場面でイエス様が仰った「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」です。
引用箇所を調べる前に、この絵と言葉を見た時、今現在私が置かれているちょっと厳しい現実に関して私に語りかけられている言葉として心に響いて来ました。そして、連想した御言葉が下記になります。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
(ローマ5:3-5)
今私は厳しい状況に置かれています。そして、ただただイエス様に全てを委ねて希望を持ち続けています。でも、神様の「時」を待つしかないので、私はヨブ?と「忍耐」を強いられている感じがしています。
音を上げそうになるのですが、いつもどんな状況にあっても、最終的には神様の素晴らしい奇跡を見るという繰り返しをずっと見て来ました。だから、今はちょっと辛くても希望を持ち続けているのです。
(note: 「錬達」は新改訳では「練られた品性」、NIVでは「character」です。)
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