HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


へブル11:1比較〜私の祈りの変化

2月になり、講壇の掛け軸の御言葉も変わっていました。^^


さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
(ヘブル11:1)

私の教会では、口語訳聖書を使っていますが、翻訳がピンとこないことが時々あります。特に旧約の訳が分かりにくいです。原書が一番ですが、ギリシャ語は一番難しかった外国語です。1年教室に通いましたが、挨拶の「ヤーサス!」以外殆ど忘れてしまいました。^^;

そういうこともあり、分かりにくい時は「Bible Gateway」で、主に英語の聖書の訳を確認しています。昨年、いつの間にかというかやっと日本語のリビングバイブルが出て来たのに気が付きました。

リビングバイブルは、同じへブル書11:1でも確かに分かりやすいですね。ついでに、英語版のリビングバイブルも引用しました。↓

信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。
(リビングバイブル)

What is faith? It is the confident assurance that something we want is going to happen. It is the certainty that what we hope for is waiting for us, even though we cannot see it up ahead.
(Hebrews11:1 (TLB))

あれ?と思ったのは『望んでいることが必ずかなえられるという確信』の箇所です。確かにそうですが、望みが欲となると違います。私は「私よりも私を知り、命がけで私を愛して下さり、私にとって必ず最善をなされる神様」を絶対的に信頼している信仰を持っています。

信仰初期の頃は、神様=何でも願いを叶えて下さる人だと単純に思っていました。確かに、幼子のような信仰を持っていました(今もそうですが。笑)から、信じて疑いませんでしたので、何度も奇跡的な信仰体験をしています。神様に出会ってから、ずっと奇跡の連続です。

神様は成長することを望まれていますから、甘いばかりではありません。だんだん硬い物を食べさせられるようになりました。その結果、祈りは「ああして欲しい。こうして欲しい。」から、「私の考えはこうですが、ただ主の御心だけがなりますように。」に変化しています。

若い頃は「何が何でも私はこうしたいの!叶えて下さい!」みたいな所がありました。これでは駄々っ子と変わりがないです。^^;でも、色々な経験を経て、今は、強く願っていても「この願いが御心でないならば、道を閉ざして下さい。」と明け渡して祈ることが出来ます。

会社都合で退職することになって、つらい思いがありつつも、変化によって何かが動き始めたことは感じていました。そして、目標を失って10年位前から祈っていた答えとして、意外でしたが音大に行くことになったわけです。神様は突拍子もない方だと思いました。(笑)

今はまだ身近な道しか見えていません。一年後、二年後、私はどうなっているのか、私にもわかりません。Only God knows!だから、神様を信頼して楽しみに、今は今やるべきことに集中してして神様だけを見上げて歩んで行くのみです。^^

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