HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


お祈りが聞かれる為に実践していること

気が付いたら自分の信仰歴も随分長くなりました。人それぞれ神様との関わり方は違うかも知れませんし、信仰の成長の度合いも神様からの訓練の種類もそれぞれ違うと思います。私はずっと独身で仕事を続けていたので、職場絡みの訓練や証は多かったかも知れません。

若い頃は我が強くて神様を困らせたり、荒れていた時もありました。でも、幸いなことは、どんな浮き沈みがあろうとも、神様や教会を離れずに繋がっていたことかも知れません。昨日のメッセージが、ちょうどヨハネよる福音書15章あたりのお話でした。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

信仰初期の頃は、神様に自分が願ったように願いを聞いて頂きたいと思っていたような気がします。そして色々ありましたが、神様はいつも共におられて、私を愛し最高最善のことしかされないことが分かるようになりました。なので、今は「私の思いではなく、主の御心だけがなりますように。」と祈れるようになりました。

先日同級生のT君に、「私の試練は神様からのプレゼントだった」と言ったことに相当驚かれました。(笑)試練の中にいる時は大変でしたが、今となってはプレゼントだと心から思えるからです。試練なくして私は成長出来なかったと思えるのです。2年前に思いもよらない新しい道に導かれました。これも長い間の祈りの答です。

或る意味、行き先はハッキリしないまま放り出された感じですが(笑)、私としては「はい、わかりました。目的地がどこか今はわからなくても、主を信頼して付いて行くだけです。」という気持です。今もその過程にいますが、私自身のビジョンがだんだんハッキリして来ました。色々な困難も時間もかかると思われます。

自分や他の人達の執り成しの祈りが聞かれる為に、私がだいぶ前から実行していることは、祈りの課題を祈る前に罪の棚卸しをすることです。自分の心にほんの少しでもマイナスの心や否定的な思いがないか、又自分が気が付かない罪を示して下さい、そして悔い改めへと導いて下さいと祈っています。辛い祈りですが、必ず聞かれる祈りです。^^;;

問題、試練が起こったら、それは神様との関係をもう一度見直す時です。経験者ですが、同じ問題を繰りかえすのは、神様の試験をパスしていないからです。パスしたら先に進めます。周囲の雨風に目を向けるのではなく、主だけを真っ直ぐ見上げて海の上を歩くことだと思っています。←実際このように祈っています。^^

139:23 神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
139:24 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。

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