以前私の未信者の友達が「未信者」はあまり良い感じの言葉ではないと言っていたので、それ以来私は意識的に「ノン・クリスチャン」と言うことにしています。同じ意味でも、響きからくる印象が違うのかも知れません。
ところで、私の家族は亡くなった母が聖霊のバプテスマを受けただけで、洗礼を受けてクリスチャンになったのは私1人です。聖書の御言葉にあるように、私がイエス様を信じることで家族も救われると信じて何十年も諦めずに祈り続けています。
父の死後のごたごたで、私は暫く実家に寄り付きませんでした。家族の救いを毎朝祈っているのにも関わらず、家族との接触を避けていた自分に矛盾を感じ、それが家族の救いの妨げになっているのではないかと思い始めました。
又、家族を許せないのは、自分の心に癒されない傷があるからだと気が付き、まずその傷を神様に癒して下さいと祈り、それと同時に私の罪を赦して下さいと祈る日々が何年も続きました。そして、或る日ふと自分の心の中の傷が全く消えて、家族に対するわだかまりの感情も無くなっていたことに気が付きました。
それはそれは驚くべきことでした。私は何も努力はしていません。ただ神様に家族を許しますから私も赦して下さいと祈り委ねただけでした。そう、現状はどうあろうとまず口で許しますと宣言することが大事で、許すという感情は後から付いて来るのです!本当に心が軽くなり、神様に遠慮なく求めることが出来るようになった感じがしました。
4年前に母が亡くなり、不思議なことに、それを境に姉や義兄との関係が完全に回復しました。その前の癒しと赦しのプロセスがあったからだと思いますが、何故回復出来たのか全くわかりません。ただ、全ての事に神様の時があるのだと言うことはわかりました。
今では年末に帰省する姪の2家族に加わって、本当に賑やかな家族団らんを過ごしています。先日入学書類関係で姉のサインが必要だったので実家に帰りました。私は、初めて進化した回転ずしに姉と行きました。何でもあるし美味しいのでビックリしました。昼頃から夕方迄ずっと何時間も姉と話したのは生まれて初めてかも知れません。初めて姉妹って良いなと思いました。
姉は毎日趣味三昧の生活をし、又姪達の家族とも本当に仲良くお婿さん達とも良好な関係で、心から幸せを感じて暮らしているのが良くわかりました。私はふと、まだ救われてはいない家族だけれど、私が救われて受けている神様の祝福は間違いなく家族にも広がっているのだとわかりました。まだまだ祈りが必要ですが、神様はノン・クリスチャンの家族をも愛して下さっているのですよね。^^
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。(伝道の書3:11 )
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