HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


再び女子大生に♪

私は、前職で外国人付社長秘書を辞めて、幸運なことに人事の採用に異動することが出来ました。昔の貿易業務のように新しい専門分野を持つことが出来て嬉しかったのですが、英語を仕事で使うことは殆どなく、結局何を目指したら良いのかわからなくなりました。その後(自分で選んだのではない)社会保険等の担当に異動になり、ますます先が見えなくなり、神様に「こんな筈ではなかった。何故ですか?」と訴えるような祈りをしていたことがありました。

最後の仕事はキャリアアップとかやりがいとか熱い気持は殆どなく、社員から言われる「ありがとうございました。」とか「助かります。」というような言葉で何とかモチベーションを維持しているような状態で、昔は「やりがい」だった仕事は、いつの間にか完全に「生活の為」へと変貌していました。特に、マンションを購入してから守りに入っていました。

私にとっての仕事の意味が変わって来た時、祈りの中で神様は私の何かの使命の為に訓練をされているのだと理解しました。その頃には神様に訴えるようなことはなく、自分の使命が何なのかを求める祈りに変化していました。神様はこの道を行きなさいと明確にはお示しにならず、今与えられている持ち場立場で一所懸命にやりなさい、そうすれば道が見えてくると導かれました。

要は、見えないものを信じる信仰を求められていたのです。何年も何年も祈りは続きました。自分の目には何も変化がないように思えましたが、神様の御計画は着々と進んでいました。そして、私の仕事の業務量が膨大になり外部委託されたことで、結果として私は会社を辞めることになりました。今年の新年礼拝に頂いた「御言葉のお年玉」で、神様に従って行く限り栄えるのみだという言葉に支えられて来ました。

遅かれ早かれ私のポジションがなくなるのは予想していましたので、今年に入ってからは本当に久しぶりに心が晴れない日々が続きました。自分ではどうにもならないことでしたので、早天に行って祈り神様のお導きを待つしか方法はありませんでした。4月末になってバタバタと退職が現実の話となって来ました。私が決断してから最終出社日までは2週間もなかったと思います。

動から静への突然の生活の変化にはとまどいがありましたが、昨年10月から行っている早天(正確には早天の後ですが。。)に引き続き通い、静かに祈る生活にだんだん慣れて来ました。縛られていたものから解放された、自由に空を飛びまわる鳥のような気持ちになりました。そして、私の長年の祈りの答えでもあるのですが、やっと私が進むべき道を神様が示して下さいました。

全く考えてもいない道でしたので本当に驚きました。神様は、或る意味自分の考えの及ばない、突拍子もないことをされる方(笑)ですので、長い信仰生活の中では何度も驚かされました。定年退職までまだ先なのに、こんな歳で会社を辞めるってどうなるのと当初は不安もありました。でも、それとは全く逆行することですが、神様は私を大学に行って学ぶように導かれたのです。

年金生活までにはまだまだ時間があるのに、こともあろうにお金がかかる音大です。私は今までもそうですが、神様が導かれることであれば、神様の御心であるならば、神様を第一にする時全て添えて与えられると信じています。4月から私は(この歳で!)再び女子大生に戻ります。^^私の中に新しいビジョンが与えられ、主がその為の道を造って下さったことで、今は喜びで一杯です。先々の不安は全く消え去りました。ハレルヤ感謝します。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。(伝道の書3:11)

↓ランキングに参加しています。皆様のクリックが書く励みになります。どうぞよろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村