HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


喜びがなければ

カシオ 電子辞書 エクスワード プロフェッショナルモデル XD-B10000

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転職活動の時はいつもそうですが、自分のこれまでのキャリアの棚卸しをします。若い頃は英語を使ったよりレベルの高い仕事を求めて、必要な時は時間もお金も相当使って英語学校や秘書学校に通って英文速記なども勉強し、やりたい仕事を手に入れて来ました。もちろん、毎回恵みの御座で祈っていただいたからなのですが、どの会社も祝福された良い条件で採用されて来ました。

輸入業務から始まって、その後の会社では輸出業務、輸出兼海外営業アシスタントを経て、外国人社長付秘書を数社で経験して来ました。秘書になった頃、趣味でドイツ語を始めたせいなのか、あれだけ好きだった筈の英語よりドイツ語の方が好きになり、少ない語彙でもドイツ語を話せる喜びで一杯になりました。当時英語圏よりもドイツ語圏の先生の方が気が合うことにも気が付きました。

今思えば、長年の付き合いの英語とは倦怠期のような関係になってしまったのかも知れません。秘書から人事に異動し、殆ど英語を必要としない業務になりました。最初の頃は違和感がありましたが、十年以上経つと日本語だけの仕事に慣れてしまい、次第に何とも思わなくなりました。又、家を買ってから、仕事はやりがいというよりは生活の為へと変化して行きました。

外国人社長付秘書を経験した後、目指す目標のようなものがなくなりました。人事の仕事も嫌いなわけではないのですが、大変でもやりがいがありワクワクするような仕事ではありませんでした。今年になって、たまたま外国人の新入社員のお世話をする機会がありました。色々大変でしたが、同時に嬉しい気持で一杯になっている自分に気が付きました。『やっぱり英語を使ってみたい。人の役にたちたい。』と考えるようになりました。

今後のことを上司と話した時にその気持ちは伝えましたが、具体的なポジションがなく辞めることになりました。英語学校に通っているうちに、だんだん授業が面白くなってきて、長かった倦怠期からやっと抜け出せたと感じました。もし子供達に英語を教えることになったら、教える側に喜びがなかったら、英語を学ぶ楽しさを伝えることは不可能だなと、最近そんな当たり前のことに気が付きました。^^;

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