HP「Seeking His face...(主の御顔を慕い求めて)」へ/


Rejoice always,pray without ceasing,
in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.


主よ・・

これは今朝の教会正面の様子です。この素敵な絵は、教会の或る姉妹がだいぶ前に描いたもので、毎年イースターが近づくと出現します。(^_^)教会前の通りや周辺は、このようにお花であふれています。

3月は一年で一番忙しい月なので覚悟はしていましたが、今週も本当に忙しい週でした。物理的に一人では無理な業務量になっているので、上司や他のスタッフが手分けして仕事を手伝ってくれています。私がこっそり土曜日に出たのを誰かが上司に伝えたらしく、「だめだよ〜言ってくれなくちゃ。みんなで手伝うから、遠慮しないでね。」と言われました。

私にとって、「出来ない」と言うことはビジネスマンとしては恥ずかしいことで、自分の能力がありませんと宣言するに等しいことのように思えるのです。厳しい外資系であれば尚更です。でも、それよりも、人の手を煩わせ迷惑をかけてしまうことの方が心苦しいのです。それで自分でも気がつかない程無理をしてしまい、身体に支障が出るので初めて気が付く・・・という繰り返しです。でも、結局この前の偏頭痛で休んだ2日間に、みんなに迷惑をかけることになってしまいました。

偏頭痛で体調を崩した1週目と今週は、土曜日しか早天祈祷会に行くことが出来ませんでした。朝教会までと教会から駅まで結構な時間を歩くので、体調が万全でないと続けるのは難しいです。実は、2月までは自転車で通っていたのですが、楽をしていた分身体が鈍って1キロ太ってしまいました。駅と自宅の10数分歩くだけでも意外と運動量があるもので、自転車を乗っていた時は駅の階段も若干辛く感じたような気がします。結局、美容と健康の為に、自転車は土曜日の早天だけにしました。

今朝教会で祈っていた時、今週の仕事の大変だったこと、上司や周りの人達の優しさ、その他色々なことが浮かんで来て、神様の深い御愛に包まれ涙がポロポロこぼれて来ました。10年以上前、一年半の長い失業後ついに仕事が与えられた時、ばんざ〜いと大声を出して飛び跳ねて喜ぶのではなく、ただただ「主よ・・ありがとうございます・・」と言葉にもならずに、感謝と喜びをかみしめて涙だけがこぼれて来ました。

今朝祈っていた時もそのような感じでした。主がお架かりになった十字架の苦しみを思った時、今このようにキーボードを叩いている時もなお、涙がこぼれて止まりません。23歳の時に主を救い主として信じて受け入れてから、私の人生は喜びの時も悲しみの時も主と共にあります。私は今主の為に何が出来るのだろうか、主は私に何をしてもらいたいと思っておられるのか、そればかりを祈っています。

主にもっと近づきたい、主をもっと知りたい、その為には御言葉を学ぶ(聖書を読む)ことだと改めて思わされています。導かれてここ数カ月はずっと四福音書を何度も何度も繰り返して通勤中NIV Audio Bibleで聴いていました。イエス様のお言葉が、声優(俳優?)の声を通して、耳から心にストレートに入り響いて来ます。臨場感あふれたドラマの台詞のように、記憶に残る感じがしています。

先日はパウロの映画を観たので、その直後からは使徒行伝からも又聴いています。パウロの熱い語り口調、又静かで優しい口調、全てが臨場感溢れていて又感動的に心に伝わってきます。日本語のオーディオバイブルもあると思うのですが朗読なのでしょうか?(調べていないのでわからないです。)英語版は、ドラマタイズバージョンなので、英語教材としても楽しめます。

又長くなりそうなので、この返で。今日はこれからお出かけします♪